ラーメン文化を築いた日本の職人たちの情熱──中国伝来の麺料理が世界のグルメに育つまで
また、2010年代に入るとフレンチやイタリアンなどの異業種から、培ってきた技法をラーメンと融合させた新たな一杯を手がける職人が現れる。 その代表的なラーメン店たる東京都東銀座の『中華そば 銀座 八五(はちご)』は、通常ラーメンの調理に不可欠なタレを使用しない。常識破りな一杯を手がけるのは、フレンチの世界で40年近く腕をふるい、『京都全日空ホテル(現ANAクラウンプラザホテル)』の総料理長を務めた経験を持つ松村靖氏。鴨肉と名古屋コーチンをベースにイタリア産のプロシュートを加えて炊き出すことで、塩分が加わり味が完成する。確かな技術を持った作り手が続々と参入し、ラーメン文化をさらに進化させた。
ラーメン文化を語るうえでは、「ラーメンフリーク」と呼ばれる熱狂的なファンの存在も見逃せない。情報をいち早くキャッチして、新しい店がオープンすれば誰よりも早く味わう。行列に並ぶのもいとわない彼らの存在が業界を下支えした。また、雑誌やテレビ番組の影響によって、圧倒的な知識量を持つマニアたちがフィーチャーされ、後に「ラーメン評論家」として活躍するようになる。 ラーメンフリークはまだ見ぬ新しい店の発掘や、ブログやSNSなどを通じた情報発信など、さまざまなラーメン文化の発展に貢献した。その一つの象徴といえば、やはり『ラーメン二郎』の名前が挙がる。 東京都内を中心に全国で40店舗以上を展開し、カルト的な人気を誇るラーメン店には、トッピングの野菜やタレの濃さなどを調整するため、「〇〇マシ」とオーダーする独特の「コール文化」が存在する。 客は「会話をしない」「食べ終わった丼(どんぶり)をカウンターに戻す」「机を拭く」「作り手にお礼を言う」など、独自のカルチャーが『ラーメン二郎』から生まれた。さらに、熱狂的なファンを「ジロリアン」と呼んだり、『ラーメン二郎』を模倣する「二郎インスパイア店」が登場するなどトピックには事欠かない。