ラーメン文化を築いた日本の職人たちの情熱──中国伝来の麺料理が世界のグルメに育つまで
他の地域でも同様だ。和歌山市内を走っていた路面電車の停車場に軒を並べていた屋台が発祥とされるしょうゆ豚骨ベースの和歌山ラーメンや、札幌市内の屋台でスタートした『味の三平』がみそ汁をヒントに考案した札幌みそラーメンなど、今や誰もが知るご当地の味もルーツをたどると、始まりは屋台の一杯にある。 個々の製法に焦点を当てると、その土地の環境や食文化の背景を受けた特色も見えてくる。寒い地域ではスープの表面に油の層を作り、冷めるのを防ぐ。また、昆布だし文化の関西地方では、だしを生かした魚介系スープに鶏ガラや豚骨を合わせたものが多い。 麺の製法にも着目すると、みそラーメンのような濃厚スープには縮れた麺がよくからむ。一方で博多豚骨ラーメンのような細麺には、水分が少なく伸びにくい低加水の麺を用いる。使う小麦や形状によって出来上がる麺は千差万別だ。
ラーメンブームの到来
1970年代頃になると一般家庭のテレビ普及率が加速し、ご当地ラーメンはメディアの影響もあって全国的に認知されるようになる。そして、1980年後半から90年代にかけてラーメン界に一大ムーブメントが訪れる。 東京では店が乱立し、「ラーメン戦争」の幕が開いた。 当時、日本一並ぶといわれた板橋区の『土佐っ子ラーメン』には、1日に1000人以上が深夜まで列を作って話題を呼んだ。その様子はメディアを通じて拡散され、日本中で爆発的なラーメンブームが巻き起こる。それは、地元民だけが食べていたご当地の味が全国区になった瞬間だった。こうしてご当地ラーメンは全国に一気に波及していく。 ラーメンが食文化として確立されるにつれて、次第に作り手にも注目が集まるようになる。つけ麺の生みの親であり「ラーメンの神様」と称される『大勝軒』の山岸一雄氏、食材や製法への徹底したこだわりで業界のレベルを底上げした、「ラーメンの鬼」の異名で知られる『支那そばや』の佐野実氏など、今は亡き巨匠たちがラーメン文化の発展に大きく貢献した。彼らから影響を受けた職人は数知れない。