仕事と家事育児で運動不足の46歳・漫画家が卓球サークルの敏腕80代に元気づけられてできた新たな目標
■コミュ力を進化させている コミュニケーション能力の高い女の人ってちゃんと加齢ごとにどんどんそれを進化させていきますね。このおばあちゃんはそれの真骨頂。あめを配ってくれる日もあります。「私は好きな味なんだけど、お口に合うかどうか」と素敵な言葉を添えて。 受け取ったあめを早速いただきながら、私もいつかあんなふうにあめを渡せる人になれるのかしら……と思いをはせました。 ほかの高齢者の方たちもみんな元気です。 46歳の私。同世代で集まると「昔のように食べられない」「目がショボショボする」「急にガタがきた」という話になりがちです。この先あと何十年もありそうなのにどうなっちゃうんだろう、と真っ暗で何も見えないぬかるんだ道を歩かされてるような軽い絶望感が、40代後半の者には常に漂っています。 更年期も重なってメンタルも低調。「生きててもなんか良いことあるのかね笑」「子どもがいるから死ねない、だから生きてるだけ、って思っちゃう時あるんだよね」「あるあるー」という会話もたまにします。実際、私はかなり気持ちが塞ぎ込んでいました。 だから60代、70代、80代で元気に動き回っておしゃべりしまくってる人たちを見るだけで「えー! なんだよ、大丈夫じゃん‼」と希望が湧いてくるのです。 40代がものすごく若々しく思えてくる。 体が大きくなって社会的経験を積んでいく成長期を経て、折り返し地点でこれからは「低下していく」事に慣れなければいけない40代後半という年齢。今までとのギャップにいちいちビックリして悲しくなってしまう。 だけどそんな感情も含めて悪いことじゃなくて自然なことなんだなーと、元気な年上の人たちを見ると思えてくるのです。同じ「元気な高齢者」を見ても20代だったら絶対にそんな気持ちにはならなかった。
■“年齢自虐”をどうかわしたらいいのか さらに卓球サークルでは、若い頃には気づかなかった「つなぎの自虐」を知りました。 このグループで、元気おばあちゃんAさんと明るい60代女性Bさんがとにかくコミュニケーション能力が高い。誰に対しても「うまくなってるよ~!」とたくさん話しかけてくれます。 そしてAさんBさんは、何かとすぐ「私たちが平均年齢上げてるから~」と言います。「私たちはこのメンバーの中でも多く年をとっている」ということをわざわざ口に出すのです。 最初に聞いた時、ドキッ! としました。大学生や高校生がいる手前、40代の私は「どっち」に入るべきか⁈ と。 学生さんから見たら同じ種類だと思うけど、60代・80代に対して「私もでぇす」と言うのは変な気がする。言ってみようかと思ったけど、やっぱり今の私にはまだ早い気がしました。 ここは「若い人」のフリをさせていただこう、と5秒くらいの間に判断して、困った顔でニコニコする、という表情で私のこの複雑な思いを表現することにしました。 ■20代の頃にはわからなかった しかしこの、年上の女性による「あたしたちっておばさんだから~」という唐突で本筋(卓球)とは関係ない自虐の叫び、実はものすごい“つなぎ”になってるんだということが今になってわかるようになりました。 20代の頃はこの、年上の女性たちによる“自己卑下としての年齢自虐”を非常にウザく感じていました。年齢なんてみんな平等に与えられたものを、多くとっているから「若い人より下」みたいに宣言することになんの意味があるのか、と。 しかしこの「年齢自虐」は、初対面の人も混ざった老若男女の同士でなにかする際に場の緊張をほぐすには最も手っ取り早くお手軽なトーク術なんだ……そう気付きました。 何も言わずにただ卓球の練習をするのでもいいんだけど、堅い時間が流れます。例えると、つなぎの入ってないポロポロと崩れやすいハンバーグです。 そこに年長者の「私が平均年齢上げちゃってるわ~!」が入る事により、その場に漂っていた”目上の人への緊張感”が瞬時にとけます。さらに46歳の女(私)のフォローとしての困り笑顔がその場に投じられ、同じく50代男性による「アハハ……」という返事になっていない笑みも生まれます。学生さんたちは「無」のまま固まっていたりするけど、「年齢自虐」サーブに中年たちが「フォローの笑顔」というレシーブを返すことにより、初対面の人が交ざる上に老若男女すぎてわけわからん関係にラリーが生まれるのです。明らかに場の空気が一気にゆるみ、徐々にみんながリラックスして練習できるようになるのです。 挽肉たち(場の緊張感)に、パン粉(年齢自虐)と卵(中年の笑顔)という「つなぎ」がはいると、空間や関係性、空気がふわふわになる。肉汁ジュッワーになるのです。