コシノミチコさん…母の墓石に刻まれた「人にもらうよりも人を喜ばせる方がずっといい」の教え
ピンチをチャンスに変えて、強くしなやかに生きる2
体の不調、お金や老後の生活の不安……悩みは尽きませんが、悩みに振り回されて日々の楽しみを忘れてしまうのは本末転倒です。悩みや不安と上手に付き合い、ピンチをチャンスへと変えたコシノミチコさんに強く、しなやかに生きるヒントを伺いました。
コシノミチコさんのプロフィール
こしの・みちこ ファッションデザイナー。1943(昭和18)年、大阪府生まれ。高校・短大時代はソフトテニスの選手として全国大会で優勝するなど活躍。73年に単身渡英。75年にMICHIKO CO.を設立。80年代ストリートカルチャーの象徴として斬新なアイテムを次々と発表し、そのコレクションは英国王立ヴィクトリア&アルバート博物館に収められている。
コシノ三姉妹:母・小篠綾子さんの教えは“自分の道は自分で決めよ”
世界的なファッションデザイナーとして三者三様に活躍する「コシノ三姉妹」。 末っ子のコシノミチコさんがアトリエを構えるのがイギリス・ロンドンです。「こっちは駐車場が高いから、買い物も食事も絶対に自分で歩いて行って、じゃんじゃん地下鉄に乗る。歩くのはちっとも苦になりません」。そう笑って颯爽と街を闊歩します。 ミチコさんの母は、2011年のNHK連続テレビ小説「カーネーション」のモデルとなった日本の服飾デザイナーの草分け的存在、小篠綾子(こしの・あやこ)さん。 綾子さんが営む「コシノ洋装店」は大阪・岸和田にあり、住み込みの縫い子さんたちと休む間もなく洋服を作り、女手一つで長女・ヒロコさん、次女・ジュンコさん、そしてミチコさんを育てました。 「お母ちゃんは“自分の道は自分で決めよ”という人。娘にああしろこうしろと言うことはありませんでした」 運動が得意だったミチコさんは中学・高校とソフトテニスに打ち込み、短大卒業前に全日本学生選手権で優勝。 「もうこれ以上獲るものはないやと思い、優勝した日にスパッとテニスをやめたんです。卒業後は『お母ちゃんの仕事を手伝う』といって運転免許をとり、集金の仕事をしていました」。すでにデザイナーとして活躍していた姉たちの手伝いをすることもあったそうです。