「完璧」は「十分」の敵...台湾の頭脳、オードリー・タン氏が見抜いた“物事が前進しない原因”
合意を出発点とすれば物事が前に進む
一方、別の側面もある。「十分」なアイデアは、大まかな合意のもと現在目の前にある問題を解決できる。しかし「完璧」なアイデアは、そのレベルまで到達する必要があることを意味し、より多くの人手と時間をかけなければ実現できない。 「十分」ではなく「完璧」にこだわって現在の問題を解決しようとしても、合意に達していないことによる不満が生まれ、物事が前に進まない。「十分に受け入れられる」合意を出発点とし、少しずつ共通の経験を蓄積していくことで、物事が持続的に進展し、「十分」よりもさらに優れた結果を生み出すことができる。 近年、新たに生まれた職業であるeスポーツ選手を例に挙げてみよう。政府で議論を始めた当初、この業界をどの部門の管理下に置くべきかわからず、誰もが既存の枠組みに当てはめて考えようとした。教育部は「eスポーツは体育に該当せず、文化活動に属する」と考えたが、文化部は「伝統技能には該当しないため、経済部で管理すきだ」と考えた。 だが経済部は「自分たちが管理するのはゲーム機本体などのハードや設備だけで、選手は管理しない。だから教育部が管理すべきだ」と主張した。 そのときにオードリーが用いたのが「焦点討論法(ORID)」と呼ばれる手法だ。まずeスポーツ選手に、これまでにぶつかった問題や個人的なエピソード、成長を感じた経験などを自由に語ってもらい、文字起こししたものを公開して、各部門の担当者に見てもらう。 各部門の担当者の発言の文字起こしは、10日間は本人によって編集可能な状態にしておく。会議当日の発言に不正確な点があっても、修正や補足ができるようにするためだ。10日後、すべての会議記録をネット上に公開し、誰でも見られるようにした。
建設的な意見が出てくるのを待つ
会議記録が公開されると、さまざまなポータルサイトやオンラインコミュニティに集うネットユーザーたちが議論を始めた。最初のうちは個人攻撃などの理性的でない行為も見られたものの、コメントが一定数に達したころから徐々に建設的な意見も出始める。 台湾には「専業五楼」というネットスラングがある。4つ目のコメントまでは感情的なものが多いが、5つ目には専門家による知的な意見が出され、そこから議論が深まるというものだ。 続いて開かれた行政院の会議では、感情的なコメントはすべて削除し、「専業五楼」の意見だけを伝えた。 「今どきは囲碁すらネット上での対戦が行われている。だから私は棋士もeスポーツの選手だと考える」「バスケットボール選手にも代替役(だいたいえき:兵役に代わり特定の業務に従事すること)が認められているのだから、eスポーツ選手もそれにならうべきだ。文化部がそれを許すなら、だが」「教育部は新しい取り組みで教育課程の改革を進めている。eスポーツの専門学部を作ってもいいはずだ」といった外部の意見を取り入れることで、公務員たちに新たな視点を与え、凝り固まった思考をほぐすことに成功した。eスポーツ選手にも棋士と同等の権利が与えられるべきだという声があがるようになった。 一方で、公開された記録を見たネットユーザーたちも、自分たちの意見が受け入れられたことを喜び、感情的な発言を垂れ流すよりも行政院の問題解決を応援したいと思うようになった。「騒ぐ子どもに飴を与えて黙らせる」より、「台所へ招き入れて一緒に飴を作る」ほうがいい。各部門と外部の一般市民が会議に参与し、実行可能な方法を共に探っていった。 その後、eスポーツに関する議題は4回の会議を経て大まかな合意に達し、三つの部門で政策が実行されることになった。オードリーは語る。 「この結果は私がもたらしたものではありません。生活も考えも異なる人々を客観的に結びつけ、その考えが一定の融合に達したため、成功したのです」