「ヒップホップ・ジャパンの時代」──Vol.6 Shing02
日本のヒップホップ・シーンの盛り上がりを伝える短期連載。第6回はShing02が登場! 米国・ハワイを拠点に世界中を飛び回る孤高のアーティストが日本のヒップホップ創世記から現在までを語る。 【写真の記事を読む】第6回はShing02が登場!
日本にヒップホップが入ってきたのは1980年代前半。その後、アンダーグラウンドなシーンが形成され、1994年のEAST END×YURIの「DA.YO.NE」、同年のスチャダラパー「今夜はブギー・バック」の全国的ヒットにより、老若男女に広く「ラップ」が認知されることになる。 一方、90年代のUSではギャングスタラップやニュースクールをはじめとするコンシャスラップなど、さまざまなスタイルが同時多発的に生まれた時代でもある。日本も貪欲にさまざまなスタイルを吸収していくわけだが、時を同じくして、カリフォルニア大学バークレー校の大学生だったShing02も1993年よりラップを始めるようになる。 「ベイエリアの南のほうにある公立高校に通っていたので、黒人系もラテン系もいて、当時から普通にヒップホップを聴いていましたし、その真似事のようなこともしていました。大学一年でバークレーの寮に入って、そこで完全にヒップホップに染まっちゃって。学業そっちのけでどっぷりハマった感じです」。そうShing02は語る。 ベイエリアはロックやパンク、ファンクなど音楽の歴史もあり、親がヒッピーだったという友人など、カルチャー的にマセている人が多かったという。そんな環境で自分らしさを出すため、Shing02は日本人独自の表現を模索するようになり、1995年頃よりデモテープ作りをスタートさせる。 翌年日本では、「さんピンCAMP」(1996年)が日比谷野外音楽堂で開催されることになる。 「当時の日本の状況は友だちから聞いたり、帰国したときに見たりしていたので知っていました。さんピンCAMPは、これまでのポップでわかりやすいイメージを断ち切るようなものだったと思います。NYで鳴っているような音でやっている雷やブッダブランド、もちろんキングギドラやライムスターも含めてですけど。僕は蚊帳の外でしたが、すごくカッコ良いなと思って見ていました。 やっぱり、ヒップホップのアーティストとしてやるうえでは、歴史をリスペクトしていないと語れないと思うんです。それがマストだとは言わないですけど、ラップする行為とMCをおこなう行為は別だと思っているんで。MCはクラウドとコミュニケーションを取ったり、曲が浸透していたり、そういうコール&レスポンスだと思うんです」 その頃のアメリカ西海岸は、93 'til InfinityやPHARCYDEなどがすでに全米を騒がしており、さまざまなスタイルの実力派クルーが林立するなど、大きな盛り上がりを見せていたという。 「聴いている側はいろんな人種がいるって感じしたが、演者側は黒人が圧倒的に多かったですね。幸運なことに、僕のいたベイエリアはQ-BERTのいた Invisibl Skratch Piklzとか、ターンテーブリストはアジア系が多かったので。彼らがDMCで優勝(1992~1994年)した時期だったから、アジア系に対する偏見も感じなかったです。オープンな感じだったので、NYで起きていることとかにも左右されず、それぞれが自分たちのスタイルをやっていた感じがありますよね。人と違うことをしなきゃいけないっていうのは使命に感じていて、真似することはワックだとみんな思ってたんで」 90年代後半、西海岸のコアなカルチャー誌『BOMB MAGAZINE』で、日本のヒップホップ特集が組まれて表紙のイラストを依頼されたこともあったという。 「距離は遠くても、ヒップホップカルチャーが届いて独自の変化を遂げているらしいということが、わかる人にはわかっていたと思うんです。当時はDJ KRUSHやDJ HONDAとかが世界的に有名になっていましたし。個人的な視点では、テクニクスとか機材の面でも貢献していたから、リスペクトがあったと思うんです。総合的に見て、日本に興味があったんだと思います」 たまに日本に帰国すると、レコード屋にはアンダーグラウンドな西海岸の12インチも並んでいることに驚くことも多かったという。また、手書きのPOPで解説が書かれている様子は日本的で、バイヤーの審美眼や情報の緻密さも感じたと語る。 勢いはそのままに、2000年にはDef Jam Japanが創設されるなど、日本のヒップホップシーンは大きな盛り上がりを見せていく。しかし、2007年にヒップホップ専門誌『blast』が廃刊するなど、商業的には低迷の時期を迎えるようになる。 「アメリカは、2000年代に入ると90年代の良さが全部なくなっちゃったんですよね。手当たり次第のサンプリングができなくなって、シンセ音ばかりが売れ始めた。あと、人気DJの番組とかも一掃されて、クリアチャンネルっていう大企業が全部買い占めちゃった。それまでの名物ディレクターとかも全部いなくなって名物番組もなくなって。MTVも『Yo! MTV Raps』とかがなくなって、くだらないカウントダウン番組とリアリティTVに変わっちゃった。 そういう中で良いアーティストがいなくなったりと、嫌なことだらけな印象でしたよね。自分たちは原点回帰して、楽器がうまくなるとか、ちゃんと理論を勉強するとか、いいミュージシャンとコラボするとか、そういう開拓の時代だと思って、がむしゃらに音楽をやっていた記憶しかないですけど」 「音楽の良し悪しより、いかにハスリングして人に注目を集めるかになった時代になった」と語るShing02。一方、厳しい競争を勝ち抜いて一握りのスターになれば、これまで以上の大金を得られる世界にもなっていった。ヒップホップがビジネスとして成熟したともいえる。 逆に、日本では商業的に冬の時代を迎えたヒップホップだが、2005年に『ULTIMATE MC BATTLE』がスタートするなど、フリースタイルのMCバトルがアンダーグランドシーンで浸透していく。それが『高校生ラップ選手権』、さらには2015年から始まる『フリースタイルダンジョン』へと繋がり、現在に続く新しい盛り上がりを生み出すことになる。 「日本のことは置いておいて、個人的にはフリースタイルやフリースタイルバトルのピークは90年代だったんです。HieroglyphicsとHobo Junctionのバトルとか、本当にすごいものを当時いろいろ見過ぎて。アメリカでは映画『8マイル』公開の頃が第2次ブームだと思うんですけど」 2010年代になると日本にも格差社会が生まれていた。そんな時代に、一攫千金を狙う若い世代がMCバトルで知名度を上げていくというのは、順番こそ違うがUSが通った道だったとも言える。 「売れるっていうのは、経済的な意味だけじゃないと思いますし、それよりも“ウケる”ことに直結していると思うんですよね。アメリカで“ウケる”のは、本当にクレバーで面白くてかっこいい人たちだけなんです。そういう奴が残っていく。日本のお笑い芸人と同じ構図だと思うんですよ。 日本でフリースタイルとかラップのバトルが身近なものになって、テレビとかで盛り上がる流れは素晴らしいと思いますよ。マニアックな遊びだと思うんですけど、その場で思いついたパンチラインだったりがオーディエンスに伝わって、爆発的に盛り上がるのは健全なことだと思いますね」 現在のシーンを考える上で、SNSやサブスクの普及という要素を語らずにはいられない。その辺りはどのようにとらえているのだろうか。 「ほぼアナログだった時代から、パソコンの画面でコミュニケーションをする時代、そしてモバイルの画面でコミュニケーションする時代に一気に変わったわけじゃないですか。曲をパッと出せたり、とんでもない革命を当たり前にやっている時代だと思うんですよね。その恩恵は一握りの人だけじゃなくて、みんなが持っているので競争も上がっていく。ヒップホップに限らず、サバイブするのもそれだけ大変になっていると思います。 90年代のインディーズの時代と比べるとアウトプットのペースも早いし、日本のヒップホップはMVのクオリティも高い、そのためにはチームができていないとそうはならないと思うし、頑張ってるなとは思いますね」 日本では、新世代のラッパーとこれまでシーンを牽引してきたラッパーを対比したとき、ファン層という面では断絶があるようにも見える。それは自然なことなのだろうか。 「アメリカでは僕より上の世代でも、ツアーしてアルバムも出してという人がたくさんいるんで。Kendrick LamarもDRAKEも30代後半でベテランだけど、若い人たちからしっかり人気を集めていますよね。自分の勝手な印象ですけど、アメリカはホリゾンタル(水平)よりもバーティカル(縦方向)な切れ目で、JAY-Zとか絶対的な存在は年齢関係なく、好きな人は好きという感じだと思うんですよね。たぶん、日本は真面目なのでヒップホップの呪縛みたいのがまだあるのかもしれないけど、アメリカはヒップホップというくくりをあんまり気にしてないと思うんですよ。ヒップホップだと思って聴いていないかもしれない」 Shing02のライブも常に新しいオーディエンスが来場しており、同世代のお客さんを見かけることはほぼないという。 「音楽ストリーミングにおいて、(半年以内にリリースされた)新しい音源が聴かれているのは全体の15%という統計もあります。ジャンルに限らず、みんな昔のものも普通に楽しんでいるわけですよ。Nujabesとか僕らの音楽もそういうふうに、いまだに発見され続けているのを感じるんです。僕らのミッションとしては、そういう曲をライブで進化させつつ、新しいこともやらなきゃいけない。自分の中では分業みたいなもので、昔に作ったものを遠ざけているわけではなく、別物だという思いでやっていますね」 Shing02 1975年、東京都生まれ。現在はホノルルを拠点にグローバルに活躍しているMC/プロデューサー。日本のほかタンザニアやイギリスで少年時代を過ごし、15歳のときから暮らし始めた米国・カリフォルニアでヒップホップと出会う。1996年にMCとして日本での活動をスタート。1999年にリリースしたアルバム『緑黄色人種』がロングヒットを記録し、2008年にはアルバム『歪曲』をリリース。ABEMAのHIP HOP CHで今年5月に放送された「my name is」での密着も話題を集めた。2024年は中国のツアーをはじめ、精力的な活動を続ける。https://www.instagram.com/shing02gram/
文・富山英三郎 編集・高杉賢太郎(GQ)