【なんでやねん】京セラドーム大阪の近くに“謎の瓦ストリート” 調べてみたら大阪の川の歴史が見えてきた!
京セラドーム大阪があるのは大阪市西区の南端。もう少し足をのばせば大正区で、木津川と尻無川、道頓堀川が合流する場所です。 【動画で見る】A.B.C-Z河合&塚田×古川アナ「なんでやねん!?」(news おかえり)京セラドームの近くに“謎の瓦ストリート”があるのなんでやねん!?
「瓦ストリート」なんてあったっけ?と思いながら、京セラドーム横を流れる尻無川沿いをそぞろ歩いてみると、少し下流に行ったところにありました。
こっちにも瓦!あっちにも瓦!どの建物の前にも瓦が置かれていて、これぞ瓦ストリートです。 調べて見ると瓦が積まれているのは、尻無川の川沿い約300m。なぜここに“瓦ストリート”ができたのでしょうか?
陸路がまだそこまで整備されてない時代はよく船で物を運んでいたので、重い瓦を運ぶために便利な川沿いに瓦屋さんが発展した、ということも考えられます。
瓦屋さんは元々南堀江にあった・・・アレができるまでは
大阪の歴史に詳しい、歴史探訪プランナーの森なおみさんに聞いてみたところ、実は瓦屋さんは元々は大阪市の中心に近い、道頓堀川沿いの南堀江のあたりにあったとのこと。それがある理由で現在の尻無川沿いに移ってきたといいます。 そのある理由とは?
(森さん)「あの瓦屋ストリートができたのは、大正橋ができたからなんです」 大正橋とは大正区と難波方面をつないでいる木津川にかかる大きな橋です。尻無川と木津川の合流地点付近にあります。
(森さん)「この橋は大正4年にできたんですね。当時は日本で1番長いアーチ橋ということで、絵はがきにもなるぐらいでした。それほど大きな橋ができたら、船は通りにくくなってくる。しかも、ここは瓦の生産地ではなく集積地です」 関西を代表する瓦の名産地といえば兵庫・淡路島です。淡路島から大阪まで運ばれた淡路瓦が木津川を通って南堀江までやってきていました。つまり、この瓦ストリートは瓦工場ではなく、問屋街だったんです。 大正時代以前は、淡路島から関西へと瓦を運ぶ大きな船のほとんどが、木津川を通って当時瓦問屋のあった南堀江まで行っていたそうです。しかし、大正橋が完成すると、瓦を積んだ船はその大きさから、橋の下をくぐりにくくなってしまいました。さらにもうひとつ、当時の木津川には瓦の運搬船にとってやっかいなことが・・・