【なんでやねん】京セラドーム大阪の近くに“謎の瓦ストリート” 調べてみたら大阪の川の歴史が見えてきた!
転覆事故の危険があった
(森さん)「実は当時、木津川では材木がたくさん運搬されてたんですね。瓦を運ぶ船が、大きい材木を運ぶ運搬船とすれ違うときに、引き波を受けて転覆するっていう事故もあったようなんです。なので、瓦運搬船にとってこの木津川は不向きだったんです」
一方、尻無川は大正橋ができた頃に護岸工事が行われ、川幅が広くなりました。そこで瓦屋さんは、大正橋と材木船の影響を受けない尻無川沿いに集まった、というわけなんです。
最盛期だった昭和初期には日本屈指の瓦問屋街となり、40以上が軒を連ねていたそうです。現在も10軒ほどが残っています。