死刑執行が決まった日「元気でゆけよ」「さよなら」特攻隊長はとぼけた顔をして~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#61
幕田大尉からの伝言
冬至は日記以外にも、日記に書いた体験をまとめたものも残している。 「苦闘記」と題してスガモプリズン内で1952年8月に記した文章には、7人を見送った翌日、田嶋教誨師から五号棟(死刑囚の棟)を出て以後の7人の様子を聞いたことが書いてある。田嶋教誨師は幕田から冬至への伝言を預かっていた。 <冬至堅太郎「苦闘記」より> (伝言は)幕田さんからで、私とは信仰についてかねて論じあっている問題があった。それは或る時幕田さんが座禅中、突然「自己即宇宙」と云うことを全身的な感激と共に感得し、それ以来悪夢からさめたように明るい気持になったと云うことからで、それが伝わる中に誇張され、 「幕田が悟りをひらいたそうだぞ」 「そんな馬鹿な話があるものか」 「いや本当かも知れない。とにかく、本人に聞いてみよう」 と云うようなことで次々に話を聞きに行く。ところが幕田さんはあれこれ説明を試みるがうまく云えない。 幕田大尉と同室だった佐藤吉直大佐も書いているように、幕田が「悟りをひらいた」ことは死刑囚たちの大きな関心事になっていた。 〈写真:幕田大尉との別れの会話(冬至堅太郎の日記より)〉
死刑囚の信仰 幕田の悟りに動揺
いつ執行されるともわからない死刑を目の前にして、信仰によって心の安らぎを得ようとする死刑囚たちにとって、悟りの境地に達することは憧れでもあっただろう。 冬至は具体的にどうすればそこへ到達できるのか、いろいろ聞いてみるのだが、幕田の答えは要領を得ない。 <冬至堅太郎「苦闘記」より> 「結局、自分で体験しなくてはわからない」 「それは一体どうすればいいんだ」 「とにかく、坐ることだ。お経は読んだり、むずかしい理屈を考えたりする必要はない。唯座禅だ。それより他はない」 と云うので今までの精進に疑問を抱いて迷うものも出て来ていた。 私も或る日幕田さんの体験を聞いたが、そのあとで尋ねた。 「それだけでいいのか」 我即宇宙という体験は尊い。自分の心身は亡びても世界は些かの変化もない。その流転しつつも不易の天地こそ即ち我―と云う浩然たる心境は得難いものだ。だがしかし所詮それは一つの空観に過ぎないのではないか。そこから再び現実の我に戻る何ものかがなくてはならない。現在の刻々を常に正しくあらしめる導きの光がさして来なければ、単なる妄想に終わりはしないかと私は問うのだ。 〈写真:死刑を宣告される幕田大尉(米国立公文書館所蔵)〉