「航空機産業を盛り上げる姿勢に変わりない」愛知・大村知事会見2月7日(全文3完)
もともと県の土地だったのか
じゃあ何が、ペナルティーがあるかと、違約金の条項があるんですよ。違約金の条項が。買い戻しはなかったな、今回は。普通、県の企業庁が土地を売却すると買戻特約が付いているんですけど、今回のやつは違約金の条項でしたね。なんですけど、そこはどうするか、すぐにということはありません。三菱さんがどういうふうに今後使われるかということについてお考えをまとめられれば、そこをお伺いして、よく話をしていくということだと思います。基本、しかし、あれ、航空機産業以外には使えませんのでね。もう建屋が立っとるんでね。あんな巨大な空間を、じゃあほかのもんに使えるかっていうと、使えないですよ、あれ。ご覧いただくと。巨大な天井ですもんね、あれ、建屋なんて。航空機産業には使っていかれるんだろうなと思いますけど、それはもう私どもの話じゃなくて、まず三菱さんがお考えになるということだと思っております。 記者:念のため確認ですが、県の土地でよかったんですね、あれ。もともと県の土地だったという認識で。 大村:あれ、県の土地と、国有地もあったんです。それを県が買って、買ったんですけども、売却する前は県の土地でありました。県有地を公募で、条件付きの公募で、航空機産業にということで公募して提供させていただいたということでございます。それは飛行機つくるのに、あれですよ、やっぱり滑走路付きでないとつくれませんのでね、ご案内のように。飛行機つくってるんですよ。トレーラーで道路に乗っけて滑走路まで持っていくなんて、そんなことできませんしね。
一生懸命土地を確保し、提供した経緯がある
それは昔、戦前、ゼロ戦の試験機は名古屋の港区の大江の工場から、牛の車、牛車に引いて各務原まで持っていって飛ばしたという事実がありますけどね。あの当時は、日本は舗装の道路なんかなかったので、田んぼ道を、当時のサスペンションの悪い軍用トラックでゼロ戦載せてたら、ゼロ戦、精密機械なので、もう壊れちゃうというんで、夜通しかけて夜中に牛でゼロ戦を引いて、各務原で試験をやって、ゼロ戦を世界に飛ばしたというのはありますけど、それは大きさが違うので、大きさが。だって縦横30メーターずつありますもんね。ですから、それはもう滑走路付きの土地でないと飛行機つくれないので。 アメリカのシアトルのBoeingみたいに工場の中に滑走路が何本もあるって、そんな巨大なところはちょっと別にしましてですよ。それはおのずと、そういうことなので滑走路の付いたところに、私ども一生懸命、土地を確保させていただいて、提供したという経緯はありますね。はい、以上です。どうぞ。