「マストロヤンニには信じられないほどの魅力があった」カトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニの愛の物語を振り返る
「映画の後、マルチェロは私の人生にとどまった」
カトリーヌ・ドヌーヴは写真家のデビッド・ベイリーと離婚協議中だった。一方、マルチェロ・マストロヤンニは、1950年に『欲望という名の電車』に出演した際に知り合ったイタリア人女優のフローラ・カラベラと結婚していた。1970年に別居したが、マルチェロはカトリック信者であったため、離婚はしなかった。カトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニは、このように恋愛には不利な環境であったにもかかわらず、次第に互いに惹かれ合っていった。カトリーヌ・ドヌーヴは映画監督ナディーヌ・トランティニャンに恋人の名前をさりげなく耳打ちした。マルチェロ・マストロヤンニは1971年の『哀しみの終るとき』でカトリーヌ・ドヌーヴの夫を演じた。「映画の後、マルチェロは私の人生にとどまった」とカトリーヌ・ドヌーヴは「ル・ソワール」に語った。 その1年後、ふたりは娘のキアラをもうけた。1951年にフローラ・カラベラとの結婚ですでにバルバラをもうけていたマルチェロにとっては2人目の子どもだった。カトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニは、全部で5本の映画で共演した。1973年のカンヌ国際映画祭でも、ふたりは腕を組んでいるところを目撃されている。しかし、ふたりのロマンスはすぐに大きな障害に直面する。マルチェロ・マストロヤンニの結婚である。キアラの誕生から2年後、カトリーヌ・ドヌーヴとそのパートナーは別居した。「私たちの共同生活は障害のせいで終わりましたが......私は障害が好きではありません」とカトリーヌ・ドヌーヴは述べた。「同じ教育を受けていないこと、同じルーツを持っていないこと、同じ言語を話さないこと、そう、たくさんの障害があります......。」
「世界一の親友」
それでも、ふたりの俳優は良好な関係を保ち、多少の言い争いはありつつも、一緒に娘を育て続けた。2020年、キアラ・マストロヤンニは雑誌「エル」のコラムで、ある大げんかを回想した。それは、彼女が10歳のときに両親の間で起きた衝突だった。彼らは映画『E.T.』(1982年)を観に映画館にいた。「最初、E.T.が森の中を追いかけられるシーンで、私は涙を流し始めると、両親は言い争い始めました」とキアラ・マストロヤンニは語った。「父は『(キアラが)あまりにもひどい様子だ』と言いました。母は『大丈夫よ!』と言って私たちは結局その場に留まりました。父は私が絶対的な悲しみの中にいるのを見るのが耐えられなかったのです。一方、母は『映画館で泣くのは普通のこと』だと確信していたようです。」 その10年後、キアラ・マストロヤンニは、自分も女優になりたいと願った。そして再び、彼女は複雑な反応に直面した。母親がパニック状態になったからだ。カトリーヌ・ドヌーヴは娘が「考古学者」になることを望んでいた。一方、父親は喜びを爆発させた。2012年4月、キアラ・マストロヤンニは『ガーディアン』紙にこう語った。「まるでファミリーレストランを経営しているかのように、私が店を継ぐと言ったのです」。このような意見の不相違もありながらも、カトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニは、後者が亡くなるまで親密な関係を保っていた。亡くなる1年前、彼はフランスの雑誌「ガラ」のコラムでかつての恋人の「魅力」を賞賛した。「私たちは世界一の親友であり続けた」と彼は付け加えた。元カップルは1993年のセザール賞授賞式にも一緒に出席した。女優カトリーヌ・ドヌーヴもまた、元パートナーの「素朴さ」、「茶目っ気」、「寛大さ」を称賛してやまなかった。
text: Chloé Friedmann (madame.lefigaro.fr)