AKBからYOASOBIの『アイドル』へ...なぜ時代は、萌えから「推し」に変わったのか
近年は何かと「推し」「推し活」という言葉が使われる。かつてはオタク文化として「萌え」という語彙が用いられていたが、なぜ「推し」に変わったのか。文芸評論家の三宅香帆氏が、AKB48、YOASOBIの『アイドル』、「=LOVE(イコールラブ)」の『絶対アイドル辞めないで』などから、令和のアイドル像を読み解く。 【データ】現代人が1か月に読む本の冊数はまさかの...? ※本稿は、『Voice』(2024年12月号)の著者の連載「考察したい若者たち」より抜粋、編集したものです。
「推し」の時代、「萌え」の時代
令和最大のヒットとは何だろうか。2020年代前半に限って言えば、それはもう、これだ。 「推し」である。 思えば令和という時代とともに「推し」の時代はやってきた。それまでAKB48グループのファンに限られていた「推しメン」という語彙は、いつしか人口に膾炙し、「推し」という言葉にずらされていく。 2020年に、宇佐見りんの小説『推し、燃ゆ』(河出書房新社)が芥川賞を受賞した。そして2021年には「推し活」がユーキャン新語・流行語大賞にノミネートされた。令和と言えば「推し」、「推し」と言えば令和、というくらい、現代の時代性と「推し」がセットで語られる......というのは私の偏見だろうか。 そもそも「推し」とは、自分が好きで、そして応援したり他人に薦めたりしたい対象のことだ。つまり、自分が対象をとても好きという感情があり、そのうえにさらに、何らかのポジティブな形で好きな相手に関わりたいという行動が追加されて初めて「推し」となる。 そのため、しばしば「推し」とは自分のアイデンティティを指す言葉としても使用される。つまり「私の推しは〇〇です」という表現は、「私とは〇〇を好きな人間です」という意味を内包している。 たとえば「私の推しは、はんにゃの金田さんです」と言うとき。そこには「金田さんが好き」という感情以上に、「金田さんの出ている番組や配信を見る」「金田さんの活躍を喜ぶ」という行為が入る。あるいは「私の推しはVTuberの月ノ美兎です」と言うとき。やはりそこでは配信を楽しんだりイベントを楽しんだりする行動が意図されている。 ひとまず、「推し」とは次のような構図で描き出すことができる。