得意なことでお金を稼ぐ!「ココナラ」の全貌とお得な活用術
〇躍進の秘密3~スキルの質を事前にお知らせ オンライン取引で不安になるのが購入するスキルの質だが、出品者のページをよく見ると「S」「P」「B」といったマークが付いている。これは出品者のランクで、選ぶ際の目安にもなる。レギュラーからプラチナまで5段階で、販売実績や購入者の満足度など、独自の基準でランクづけしているのだ。 プラチナ出品者の小澤恭一郎さん(63)のスキルはプラモデルの制作代行。50年来の趣味、プラモデル作りでココナラに登録し、月4、5万円と貴重な収入になっている。依頼人の父親が乗っていたという愛車のプラモデルを制作した時は「お父さんが泣いて感激したらしい。すごくうれしくて僕も涙が出てきて……」と、お金以上の喜びもあった。今や新たな生きがいだ。 ファンの底辺は広がり取引額も急増。この5年で3.5倍の146億円まで伸びた。 「いつでもココナラという場を通じて、社会と接続して自分のスキル・知識・経験を売ることができる。一人一人が自分らしく生きていける世の中を作っていきたいと思います」(鈴木)
「頑張る人を応援したい」~大赤字からの改革と大勝負
1982年、東京で生まれた鈴木は、建設業の父親の仕事の関係で幼少期をマレーシアで過ごした。 「マレーシアでは高層ビルの中にショッピングセンターがあってハイブランドの商品を買える世界があれば、町はずれのスーパーに行くと高齢者が物乞いのように『お金をくれ』という看板を出して一日中座っている。機会をもらえた人ともらえなかった人でこうも差があるのか思っていました」(鈴木) 厳しい格差を目の当たりにし、気持ち悪さを感じたと言う。早稲田大学を卒業後は今や3兆円企業のリクルートへ。アルバイト情報誌の編集や結婚情報誌の営業など、さまざまな部署で揉まれた。
転機は33歳の時。人を介してココナラ創業者で前社長の南章行と出会った。南は銀行マンから企業買収ファンドに転じ、2012年に仲間と3人でココナラを立ち上げた。 「企業買収ファンドの仕事は、買収した先に経営者として入って『いかに売り上げをあげるか』ばかり考えていたのですが、東日本大震災が起きて復興が先になり『売り上げをあげてください』なんて言っている場合ではなくなった。これから個の時代になっていく中で、自分の仕事を見つけるとか、日々の喜びを見つけるとか、そういうことを提供していくいいタイミングではないかというのがありました」(南) だが、当時はまだメルカリも生まれていない時代。消費者と消費者で形のないスキルを売り買いするビジネスはなかなか理解されなかった。なんとか出資者を見つけてしのいでいく会社運営の中で、2016年に鈴木をヘッドハンティングしたのだ。 「紹介された時にはちょっと運命めいたものを感じました。人生で大事にしてきた『人を応援する仕事がしたい』という部分とものすごく合致するので」(鈴木) ところが、いざ入社すると厳しい現実が待っていた。集まってくるスキルの半分以上は占いや似顔絵。しかもワンコインで買えるような安いものばかりだったのだ。 「まだまだビジネスとして成立しておらず、大赤字で1年後にはキャッシュが尽きる状態でした」(鈴木) そこで鈴木は改革に動く。まず、1万円までだった出品価格の上限を撤廃。お金を出しても惜しくない価値のあるスキルが出品されるように変えた。 また、当時のココナラには致命的な弱点があった。 「圧倒的に知られていない。10人、20人に言っても見事なくらい誰も知らない。これを一気に劇的に変えていきたい、と」(鈴木) そこで鈴木は勝負に出る。ココナラを知ってもらうための全国でのテレビCMだ。資金は全て外から調達し6億円を集めた。成功すれば認知度は一気に上がるが、失敗すれば終わりという大きな賭けだった。ところが、その勝負すらできなくなりそうになる。テレビ局から断られたのだ。 「『ココナラの事業は公共の電波に乗せていいものなのか』『個人間のやり取りでトラブルは起きないのか』と。投資家の方たちには『テレビCMをやるから6億円出資してください』と言っているので、『使えませんでした』とは言えない。焦りました」(鈴木) そこで当時社長だった南は、全国のテレビ局の営業担当を相手に説明会を開き、理解を訴えって回った。 「『皆さん、トラブルが起きそうだと不安に思っているかもしれませんが、こういう体制を敷いて、こういう仕組みでやっているので大丈夫だ。テレビ局にクレームの電話がいくことはない』と。質疑応答を延々とやりました」(南) こうして放映にこぎつけたCMで認知度はアップ。アプリも開発し、会員数はCMの前後で6倍に急増した。鈴木は入社から4年後には社長に就任。ココナラを全国区の企業に変貌させた。