トライアルブーム再燃!? 世界タイトルを獲得したホンダが作り上げた往年の公道トライアル車とは
4ストと2スト、公道走行可能な本格トライアルマシン
トライアルのドン底時代と言われた時期に発売されたホンダ「イーハトーブTL125S」(1981年発売)は予想外に好評で、次いで1983年にモデルチェンジした新しい「TL125」とともに「TLR200」が発売されました。 【画像】カッコよすぎる! 詳細を画像で見る(15枚)
1982年にトライアル世界選手権で、エディ・ルジャーン選手がホンダ「RTL360」でチャンピオンを獲得します。日本車として、そして4ストロークエンジン車で初のトライアル世界タイトルでした。 1983年には服部聖輝選手が、本場スコットランドの伝統ある大会「SSDT」(スコティッシュ6日間トライアル)に発売されたばかりの「TLR200」で挑戦しました。結果は見事に151~200ccクラスで優勝し、その性能を知らしめました。 さまざまなニュースやニューヒーローの登場に後押しされながら日本のトライアル界は第2次ブームを迎え、「TLR200」は発売初年度に1万7000台という(トライアルバイクとしては)異例の販売台数を記録します。 当時のホンダは、排気量200ccクラスだけでも4ストロークトレイルバイク「XL200R」(1982年型)、2ストロークモトクロッサーレプリカ「MTX200R」(1983年型)をラインナップしており、「TLR200」は公道用トライアルバイクとして突き詰めた開発ができる条件が整っていました。 世界チャンピオンのルジャーン選手や、全日本チャンピオンの山本昌也選手のアドバイスにより開発された「TLR200」は、細部のメカニズムや装備までトライアル最優先でした。
贅肉のない軽量でスリムなフレームは、排気量50ccクラスのスポーツバイクよりも軽い6.8kgです。高張力鋼管の角型断面と長円断面型パイプ、プレス中空構造のボトムプレートを使用し、ロウ付け加工を多用することにより軽量ながら高い剛性を持っていました。 エンジン下には300mmのクリアランス(地上高)、シート高は760mmと低く、ひとり乗りとして設計された車体は前後バランスの良さも自慢でした。 一層強力な低中速域トルクと鋭いピックアップのエンジン性能は、競技マシンそのものと言えます。 世界選手権のルジャーン選手は1982年から3年連続でチャンピオンを獲得します。ルジャーン選手とホンダの4ストローク「RTL360」での参戦は1987年まで続きましたが、2ストロークエンジンを搭載する欧州車の逆襲が始まり、ホンダは10年以上タイトルから遠のいてしまいます。 ホンダは1985年に、本格的なトライアル競技からツーリングまで楽しめる、2ストロークエンジンの「TLM200R」を発売します。「TLR200」とは異なる白を基調とした爽やかなカラーリングに時代の変遷を感じます。