羨望の「ポルシェライン」! W124型 メルセデス・ベンツ500 E(1) 登場を促したのは初代セルシオ
ポルシェが設計したV8の高速サルーン
だが、メルセデス・ベンツは更に高みを目指した。経営の厳しかったポルシェと協力し、R129型の500 SLと同じ5.0L V8のショートストローク・ユニットと4速ATを組み合わせ、羨望の500 E(1992年からはE 500)が生み出される。 メルセデス・ベンツがプレスした300 Eのホワイトボディは、シャシーを拡大するためポルシェの工場へ輸送。バルクヘッドも強化されると、再びシュツットガルトを挟んで反対側にあるジンデルフィンゲンの工場へ運ばれ、深みのある艶で塗装された。 乾燥されたボディは、ポルシェのツフェンハウゼン工場へ戻り、残りの組み立て作業が進められた。5.0LのV8エンジンに加えて、フロント・サスペンションも500 SL用。4ポッドのブレーキキャリパーも同様だった。 18日間をかけた丁寧な工程を通じ、トレッドは通常のW124型より38mm拡大。最低地上高は23mm低められた。 仕上がった500 Eは、もう一度ジンデルフィンゲンへ。最終的な完成検査が実施された。これに先行して、ポルシェはアウディRS2の生産も引き受けていたことは、AUTOCARの読者ならご存知だと思う。 かくして500 Eには、メルセデス・ベンツとポルシェ、2つの工場ID番号が振られている。メルセデス・ベンツに代わって、ポルシェが高速サルーンを設計したという事実は、今でもマニアを喜ばせるものだろう。
部品は基本的にメルセデス・ベンツ製
新型のW140型Sクラスへ注力していたメルセデス・ベンツは、少量生産の特別仕様へ充分なリソースを割り当てることが難しかった。他方、ポルシェは優れた技術力を備えたスポーツカー・メーカーでありながら、北米での販売不振で新たな仕事を欲していた。 同社は、設計コンサルタントとしての側面もあった。直列6気筒エンジンを前提にしたW124型へ、大排気量で重いV8エンジンを押し込み、衝突安全性や操縦性を担保することは、誰にでもできる簡単な仕事ではなかった。 ただし、500 Eがポルシェ製だと考えるのは、厳密には正しくない。トランクへ移設された補機バッテリーのカバー以外、部品は基本的にメルセデス・ベンツ製だったからだ。5.0L V8エンジンを組み立てたのは、ポルシェの職人だったけれど。 通常の生産ラインに、広げられたホイールアーチが対応していれば、ポルシェの工程はホワイトボディの改良に留まっていた可能性はある。同じく改良を受けていた、400Eのように。 結果として、僅かにフレアしたフェンダーラインにワイドなタイヤ、専用のサイドスカートで差別化された500 Eは、特定の人へ強く響いた。その他大勢の人には、W124型の1車種にしか見えなかったとしても。 ポルシェもメルセデス・ベンツも、当時は経営者より技術者の方が上位にあった。往年の傑作として、結果的に30年後も高い評価を集めるに至っている。 この続きは、W124型 メルセデス・ベンツ500 E(2)にて。
マーティン・バックリー(執筆) 中嶋健治(翻訳)