阪神・原口文仁、令和の春団治になる 記録でも記憶でもファンに愛された川藤幸三さんを目指す
くしくも、川藤氏が現役時代に代打起用された回数352まで、原口は「あと12」に迫る。また師が刻んだ通算代打打率は・2672(318打数85安打)で原口は同・2666(300打数80安打)。生きざままで見習い、超えていく。
この日も子供たちの前でのフリー打撃で大きなアーチを披露した。もちろんレギュラーの座はあきらめず、藤川監督の掲げる競争に自慢の打棒を引っさげて飛び込む。その上で代打起用となったとしても、最高の仕事を果たすだけだと腹をくくっている。
「そういう立場で出るとしたら、そういうもの(記録更新)もモチベーションとして持っておきたい。一本でも多く打てばチームにプラスになる、という思いです」
八木裕が97年に打ち立てたシーズン代打打率の球団記録・405も、真弓明信が94年に刻んだシーズン代打打点のプロ野球記録「30」も視野に捉える。たび重なる故障や大病を乗り越えてきた原口ならば、ファンが思いを寄せる一打席に堂々と立つことができる。「春団治」の魂が令和の虎でよみがえる。(長友孝輔)
★浪速の春団治・川藤幸三
福井・若狭高から1968年ドラフト9位で阪神入団。俊足巧打の野手として期待されたが、75年にアキレス腱(けん)を断裂し、その後は代打の切り札として活躍。83年オフに戦力外通告を受けた際に「給料はいくらでもいいから野球をやらせてくれ」の名セリフを残し、それに感銘を受けた虎党の漫才師、上岡龍太郎らが給料をカンパした。だが、川藤は集まったお金で甲子園の年間指定席を購入し、ファンを招待した。破天荒な生きざまが落語家の初代・桂春団治をほうふつさせることから、「浪速の春団治」の異名をとった。
■データBOX
阪神のシーズン代打打率の球団記録は、1997年の八木裕の・405(チーム試合数の4分の1以上の起用回数者が対象)。原口は2018年に同2位の・404と肉薄した。打点は1994年の真弓明信の30が最多で、原口は2018年に同4位タイの18打点を記録。安打数では08年の桧山進次郎に並ぶ最多タイの23安打を18年に放った