「文学」をあきらめたから『あきらめる』が書けた。山崎ナオコーラ×小林エリカ×花田菜々子の鼎談レポ
どんな作品が「文学」なのか
山崎:「いい仕事ができた」という話をしたけれど、私は「作品が何かの賞を受賞したり、偉い誰かに認められたりしないと、仕事が続けられない」っていう呪いがなかなか解けなかったんだよね。 小林:『あきらめる』でも「私は賞をもらえないからダメなのか」と悩む登場人物が出てくるよね。私はあの話がすごく好きです。 山崎:そうそう、アートシーンで活動しながらも賞に関係してなくて、仕事にならない、と考える人物がいます。この考えは家父長制ですよ。「偉い人に認められないと仕事と思えない」っていう呪い。私自身、デビュー時に書評でいろいろいわれたこともあって、その呪いがなかなか解けなくて。当時、文芸誌に「トンマ」っていわれて悩んだり。 花田:それはただのクソリプじゃないですか(笑)。 山崎:いえいえ、偉い作家の、ちゃんとした言葉なんです。それで、褒められたり、賞に関係したりしないと、「文学」を仕事にしているとはいえない、という焦りが生まれました。そして、その焦りはずっと長くありました。 小林:私も、漫画を描いたり美術の展示をしたりいろいろなことをしているから、私の仕事は「文学」と思われてないんじゃないか、というコンプレックスがありました。チャラチャラしているように思われているんじゃないかと。一時期すごく悩んでいたんです。 でもそんなときにある知人の作家さんが「あなたのやっていることはすべて文学だ」と言ってくださったのがすごく嬉しくて。それから自分にとっての「文学」って何だろうってすごく考えたの。そうしたら、何らかのかたちあるもの、残るものだけが、私にとっての「文学」のすべてというわけではないのかもしれない、って思えた。 だから、ナオコーラちゃんにお子さんが生まれたあと「生活が大変で書けない」とSNSで発信していたのを見て、「ナオコーラちゃんの生活とか生きていること全部が文学だと私は思う」って言ったんですよね。 山崎:そのやり取りは強く覚えていて。「育児で文学に関することがやれない」みたいな愚痴を書いたとき、エリカちゃんが「育児も文学だ」とバシッと言ってくれてすごく勇気づけられた。育児中は時間に制限ができて、社会からも置いていかれているように感じていたから。 エリカちゃんの言葉を聞いて、子どもと雑談することも、家事やSNSだって「文学」かもしれない、と考えが広がって救われました。