「築地から豊洲へ」移転決定から17年 新市場がオープン
東京都の新しい中央卸売市場となる豊洲市場(東京都江東区)が11日に開場する。83年の歴史に幕を下ろした築地市場(同中央区)からバトンタッチを受ける形だが、豊洲への移転の道のりは紆余曲折の連続だった。当時の石原慎太郎知事時代に正式に豊洲への移転が決まってから17年。小池百合子知事時代にはいったんは決まっていた開場日が延期されたり、行われるはずの盛り土工事がなされていない事実が発覚したりした。開場までの経緯を振り返る。 【写真】築地市場が最後の営業、83年の歴史に幕「きょうで終わりなんだなあ」
◇ 10月6日、夜明け前の築地市場。場内ではヘッドライトを煌々と照らしたターレやフォークリフト、トラックが忙しなく行き交う。
83年の歴史にピリオドを打つという最終営業日のこの日も、生マグロ、冷凍マグロ、青果など各所でいつも通りに競りが行われた。報道公開された冷凍マグロ卸売場では、午前6時になると鐘の音が鳴り響き、白い冷気を放つ冷凍マグロの最後の競りが始まった。あちこちで売り主が独特のかけ声で買い手に呼びかける。青果部卸売場でも、シイタケやギンナン、ワサビといった個別の野菜ごとの競りが行われた。活気あふれる風景も、この日で最後。築地市場協会の伊藤裕康会長は「きょうで終わりなんだなあとしみじみ思う」と寂しがった。
築地の再整備を断念、豊洲への移転を決定
築地市場は1935(昭和10)年、日本橋にあった魚市場と、京橋にあった青果市場が移転し、統合する形で開場。都内、関東近県に水産物や青果物を供給してきた。1日に取り扱う水産物は1541トン、青果物985トン(2016年実績)で、水産物では世界最大級の取り扱い規模を誇る。 老朽化や市場内の過密化が著しくなったため、1991(平成3)年に都は築地市場の再整備に着手する。しかし、工事が市場の営業活動に影響を与える懸念や工期の遅れなどから工事は中断。都は築地の再整備は困難と判断し、別の場所への移転に方針を転換した。そして2001年12月、移転先を豊洲地区に決定した。 この土地は東京ガスの工場跡地だったため、ベンゼンなどの有害物質による土壌汚染が懸案だった。同社が土壌汚染対策を実施した後も、2008年には土壌から環境基準4万3000倍のベンゼン、同860倍のシアン化合物が検出された。2010年3月の都議会では、土壌や地下水の汚染を環境基準以下に抑えて「無害化」した状態で開場することを求める付帯決議が中央卸売市場予算案に付けられ、当時の石原慎太郎知事は同決議を「十分に尊重させていただく」と答弁した。 都議会ではその後も、築地の再整備を検討する動きもあったが、2010年10月、石原元知事は「議会の議論を踏まえて、豊洲移転を進めていく」との意向を表明。都による土壌汚染対策を経て、2014年2月に豊洲新市場の建設に着工。翌年には開場日を2016年11月7日と決めた。