「孤独とは、一人で生きていく覚悟」下重暁子がパートナーシップを語る 最愛の夫ピート・ハミルをなくした作家が二人の日々を綴った感動の手記(レビュー)
ピート・ハミルに糖尿病が認められ、その病はあらゆる病を呼び寄せる。それに抗い戦いながらふたりの生活は続くが、やがてその日がくることは、このふたりにとっても例外ではなかった。 おびえながらも、青木さんは、その日のための覚悟を固めていく。かつて一人暮らしだった頃を思い出し耐えねばならない、と必死だったかもしれない。 何度も回復し、期待と失望をくり返しながらも確実にその日は近づいてくる。そして実際にそれが目の前に現われた時のショックは想像を絶するものであった。 「二〇二〇年八月に夫がいなくなってから二年を過ぎる頃まで、何を見ても彼を思い出す日々が続いた。スーパーマーケットで緑のぶどうを見れば、それを毎日食べていた姿が目に浮かんだし、ダイエット・ペプシのボトルを見れば、仕事机の上にいつも置かれていた氷いっぱいの大きなグラスを思った」 私の友人も夫を失ってしばらくの間、食事の支度をすれば、ついご飯茶碗をふたつ並べてしまうし、お茶を飲むにもカップを知らぬ間にふたつ取り出していたと言う。 その気持ちは分かる気がする。そして私自身、ふたり暮らしが終りを告げた時、どうなるかの見当がつかない。 かつての一人暮らしに戻るだけと自分に言い聞かせているが、それを実行できるかどうかの確信はない。その時のために若い友達を日頃からつくる努力もしている。自分の心をごまかすために……。 「わたしはそういう“もの”を見ないように試みたが、思いがけず目に入ることもある。まして場所とか建物などは避けきれるものではない。そのなかでもいちばん困るのがブルックリン・ブリッジだった」 ふたりが暮らしたブルックリンとマンハッタンを結ぶ橋。ピートはこの橋が大好きだった。 ふたりで「最後の二年」を暮らした家を離れ、青木さんは長く住んだトライベッカのロフトへ戻り一人暮らしをする。 なんとか日常を取り戻そうとする作者の涙ぐましい努力――しかし、かつての孤独や一人暮らしは取り戻せるのか。 孤独とは、一人で生きていく覚悟である。彼女の戦いを表現するのに「もがき」という言葉を思いつくまで、ずいぶん時間がかかった。 人は一人で生まれて一人で去ると言うのは易しいが、ふたり暮らしの「それから」に私も自信は持てないでいる。 [レビュアー]下重暁子(作家) 作家。 日本ペンクラブ副会長。 日本旅行作家協会会長。 早稲田大学教育学部国語国文科卒業。 NHKに入局。 アナウンサーとして活躍後フリーとなり、 民放キャスターを経たのち、 文筆活動に入る。 ジャンルはエッセイ、 評論、 ノンフィクション、 小説と多岐にわたる。 公益財団法人JKA(旧:日本自転車振興会)会長等を歴任。 著書に、 60万部を超すベストセラーとなった『家族という病』(幻冬舎)をはじめ、 『持たない暮らし』(KADOKAWA/中経出版)『母の恋文』(KADOKAWA)、 『「父」という異性』(青萠堂)、 『老いの戒め』『若者よ、 猛省しなさい』(集英社)などがある。 協力:新潮社 新潮社 波 Book Bang編集部 新潮社
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