真珠湾に特殊潜航艇で出撃し「軍神」と称賛された叔父、墓参続ける男性「そんな時代に戻ってほしくない」
ただ不思議に思っていたことがある。「2人乗りが5隻なのに、なんで軍神は9人なんだろう?」。ある日、家族に聞いた。大人たちの顔色が変わった。「触れてはいけないことなんだ」と感じた。座礁した1隻の艇長1人が捕虜になったことは後に知った。
心ない言葉
戦局が悪化する中で、前橋市も空襲の標的になり、岩佐さんも低空を飛ぶ米軍機を見た。45年8月5日夜、上空に米爆撃機「B29」92機が飛来。計700トン以上の爆弾を投下し、535人が死亡した。自宅は被害を免れたものの、周囲からは「軍神がいたから、前橋が狙われた」と心ない言葉をぶつけられた。
終戦を迎え、岩佐さんは、叔父が机にかじりついていた8畳間で勉強に打ち込み、中央大に進学。日本電信電話公社などの勤務を経て、73歳で一線を退いた。
千葉県流山市で暮らす今も、前橋市にある叔父の墓を訪れる。「当時は軍神の存在が必要だったのかもしれないが、そんな時代には戻ってほしくない」と力を込める。8日は自宅で静かに平和をかみしめる。
安倍首相とオバマ大統領、現地で犠牲者追悼
真珠湾攻撃では、空母6隻を中核とする機動部隊から発進した約350機の航空機が停泊中の米太平洋艦隊を奇襲し、米側の死者は約2400人に上った。
宣戦布告の約1時間前に攻撃したため、米国民は「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」を合言葉に結束。日米はこの日から1945年8月15日の終戦まで、太平洋各地で激戦を繰り広げた。
真珠湾攻撃から75年後の2016年12月、安倍晋三首相(当時)がオバマ米大統領(同)とともに、攻撃で沈んだ米戦艦「アリゾナ」の上に建てられた記念館を訪れ、日米の首脳が初めて現地で犠牲者を追悼した。安倍氏は演説で「戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない」と強調した。
◆特殊潜航艇=日本海軍が1940年に採用した小型潜水艦。真珠湾攻撃には全長23・9メートル、直径1・85メートル、魚雷2本を搭載する2人乗りの「甲標的甲型」が投入された。母艦となる潜水艦から発進し、敵艦に肉薄して攻撃した後は母艦に戻る運用構想だったが、帰還は困難だった。42年5月の豪シドニー港への攻撃でも使用された。