〝叛逆老人〟86歳のルポライター鎌田慧は社会の断面を書き続ける 冤罪、原発、労働…全12巻の選集刊行開始 「完結まで死ねない」
四大公害病の一つ、イタイイタイ病が疑われる事案を追った初めての著書から54年。ルポライター鎌田慧さん(86)の集大成と言える「鎌田慧セレクション―現代の記録―」全12巻(皓星社)の刊行が2024年9月に始まった。膨大な仕事を続けてきた源泉は何なのか、話を聞いた。(共同通信=中村彰) 【写真】面会室に現れた袴田さんは「きのう、処刑があった。隣の部屋の人だ」と興奮気味に… この日を境に言動がおかしくなっていく 「ご飯に毒が入っている」「次は自分かもしれない」 3畳間の独居房、迫る死の恐怖… 死刑が執行停止になるまで
▽やってみなければ分からない トヨタ自動車で季節工として働き、ベルトコンベヤーに支配される労働の過酷さを描いた「自動車絶望工場」(1973年)をはじめ、鎌田さんは一貫して「現場」にこだわってきた。「死に絶えた風景」(1971年)では新日鉄(現日本製鉄)八幡製鉄所で下請け作業員となり、厳しく危険な労働現場や、劣悪な環境で労働者から搾取を行う「労働下宿」の実態を暴いた。以来、鎌田さんの仕事の根底に流れるのは「現場第一主義」だ。 フリーのライターとして仕事を始めてまもなく、川崎市の工場で働く女性工員を取材した。「(製造ラインは)結構ゆっくり回っているんだね」と言ったところ、「見ている方はゆっくりに見えるけど、やってる方は大変なんだ」と返答された。実際、別の工場の現場に入り、一見さほど速くないように見えるコンベヤーで作業をしてみると、想像を絶した作業量に追いつくのがやっとだった。 「やってみなければ分からない。働きに来た人がどんどんどんどん辞めて帰っていく。お金を稼ぎに来た人はこんなの辞めて違うところに行ったほうが良いって言う。僕は書くのが目的だから、書きたいという欲望だけで残った」という。「潜入っていうんじゃなくて、体験して考えてみよう、その場に身を投じると、考えていなかったことも分かるようになるかもしれない」、そんな思いで続けてきた。 ▽資本主義の影を追い続けて
青森県弘前市出身。高校卒業後に上京し、小さな工場で工員として働いていたが、解雇に遭う。撤回闘争に伴う職場占拠の応援に加わっていたさまざまな労働者と出会い「こういう世界を書きたい」と決意。愛読していたゴーリキーの影響もあり、早稲田大学に入学してロシア文学を学んだ。 卒業後、鉄鋼の業界紙や、月刊誌の編集を経てフリーに。スタートの労働問題をはじめ、取材テーマは冤罪(えんざい)、原子力発電所、沖縄、教育など多岐にわたる。通底するのは、資本主義が生み出す影の部分とも言えるだろう。「確かに影ですよ。あんまり明るいところには行ってないから。僕は労働問題から入ってる。高校終わって3年働いていてクビになった経験が根っこにあって、そこから世の中が見えた。社会の断面みたいなのが見えた。それは大事にしようと思ってやってきた」と振り返る。「一番最初の感覚が当たっていたんですよ」 ▽冤罪事件取材を通じて得た実感「今の司法には問題がある」