"米軍全クリ"に最も近づいた日本男児・サイトウ曹長が憂う日本社会「アメリカでは軍人だとわかった人が匿名で飯をおごってくれるような姿勢がある。日本の自衛隊には国や国民、さらにメディアのサポートがないのがかわいそう」
横須賀から始まったサイトウ曹長の米軍を巡る旅も最終回。最初は海軍に入隊し、海兵隊に転属してイラク戦争に従軍、そしてついに米軍の中で最も人員の多い陸軍に足を踏み入れた。雑な人事異動に振り回されながらも着実に評価を上げ、陸曹や幹部相手に根性論を叩き込む陸軍兵站(へいたん)大学の教官に。 【写真】教官となったサイトウ そうして"米軍全クリ"に最も近づいた日本男児が最後にこぼした米軍の変化と自衛隊への思いとは――。 【"米軍全クリ"に最も近づいた日本男児 サイトウ曹長の米軍を巡る冒険譚 〈最終回 陸軍・兵站大学編〉】 * * * ■米陸軍に入隊するも異動でてんやわんや 米海兵隊隊員としてイラク戦争に従軍したサイトウ軍曹(当時)は無事に生還。そして今度は陸軍幹部学校の試験に合格。海兵隊を除隊し、陸軍幹部を目指す道を進み始めた。 「最初にジョージア州にある学校に入りました。海軍、海兵隊とは違う雰囲気だったので少し戸惑いましたが、そこでの試験で病院の運営に携わる職種に決まりました。 これはもう安泰だなと思いましたね。メディック(衛生兵)としての経験があるし、病院の経営とかになればのんびりと過ごせるかなって(笑)。ただ、そんなときに幹部学校をクビになってしまったんです」 まさか校長相手にケンカでもしたのだろうか? 「いや、ロープを使って壁を登る訓練中に、頭から落ちてケガをしてしまったんです。そしたら医者に『一定期間内に治らないと幹部学校はクビだよ』って言われ、治らなくてクビになりました。 海兵隊や海軍の場合だと試験で合格できなかったり、ケガをしてしまったりして幹部学校をクビになると除隊することになるのですが、陸軍は契約書にサインをしていたら、その契約期間中は途中で辞めることができないんです。 しかも、元の階級で残ることになる。自分は陸曹で残らされることになったので、かなりショックでした。 残るなら衛生科で残りたかったのですが、海軍と海兵隊での経験はまったく考慮されず『空いてる枠がないから武器科に行け』と言われて、仕方なく武器科に行きました」