"米軍全クリ"に最も近づいた日本男児・サイトウ曹長が憂う日本社会「アメリカでは軍人だとわかった人が匿名で飯をおごってくれるような姿勢がある。日本の自衛隊には国や国民、さらにメディアのサポートがないのがかわいそう」
■日本の根性論を米軍に叩き込む! 教官が鬼のように怖いことで有名な海兵隊出身の教官が誕生した。 「まあ、教官は顔で生きていますから、潰されないようにキッチリしてました。ウチの兵站大学には一定の経験を積んだ陸曹や幹部、そして世界中の約26ヵ国から留学生も集まります。もちろん自衛官もいました。 教えていたのは武器科の陸曹相手で、9㎜拳銃弾のM9拳銃から155㎜榴弾(りゅうだん)を撃つトリプルセブンまで。学生は約4人でコースは3ヵ月。36人くらいいるコースもありましたが、ウチは少数精鋭でした。一度、上からの推薦もあって年度優秀教官に選ばれたこともあります」 教える際に役立ったのは"大和魂"だ。 「やはり根性論を語るとき。今の日本の若者もそうですが、特にアメリカ人は自分だけの世界に生きているから根性論がないんですよ。日本人と比べると圧倒的にワンマンプレーのヤツが多い。つまり受け身なんです。 自分からイニシアチブを取ることがほとんどないから、知らないことがあっても『教えてくれなかった』みたいな。『そうじゃなくて、おまえが自分から学びに行かないと部隊は全滅することもあるんだぞ』って叩き込むわけです。そういうところを変えていかないと戦場で生きていけないので」 しかし、教官としてのやりがいを感じていた頃にコロナ禍に入る。授業はすべて止まった。 「その頃、軍の葬式を取りまとめるチームを仕切ることになったのです。寄せ集めの儀礼隊みたいなもんですかね。アメリカでは軍隊経験者が亡くなったら近くの各駐屯地から葬式のチームが出て葬式を行なうんですよ。 あるとき、参列者の高齢男性が急に倒れて。脈を測ったら心臓が止まってたんです。自分は元メディックですから、しっかりCPR(心肺蘇生法)をしてね。そしたら息をし始めて、生き返ったんです。 まだ自分の腕は落ちてないなと思いました。そのことは米軍新聞にも掲載され、当時の国防長官から感謝状をいただきました」 そして4年以上いた兵站大学から陸軍の精鋭中の精鋭、第18空挺(くうてい)軍団に転属した。 「自分のいた駐屯地に新しく来る全隊員のデータ収集などをする中隊に配属されました。簡単に言うとレセプション。駐屯地司令直属の受付みたいなことをしました」 ■変化している米軍 そのとき自衛隊は?