"米軍全クリ"に最も近づいた日本男児・サイトウ曹長が憂う日本社会「アメリカでは軍人だとわかった人が匿名で飯をおごってくれるような姿勢がある。日本の自衛隊には国や国民、さらにメディアのサポートがないのがかわいそう」
そしてバージニア州にある武器科の術科学校に入り、3ヵ月間、新たな分野を学んだ。新兵の中に、海兵隊のメディックでイラク戦争に従軍した男が交ざって授業を受ける。 「海兵隊の徽章(きしょう)は目立ちましたが『珍しいね』と言われるくらい。ただ、右腕に部隊章を着けられるのは実際に戦地に行った兵士だけです。 2024年の今、これを着けている兵士は少ないですよ。戦争に行ったヤツはほとんど退官してるか辞めてますから。特に一般兵の士長以下で、右腕に着けているヤツは見たことがありません」 そして術校を終え、最初の配属先が告げられた。韓国だ。 「韓国には1年いました。週末に街に出て韓国料理を食べるのが楽しみでした。 その次に配属されたのはニューヨーク州の第10山岳師団の部隊。ニューヨークと聞いて都会をイメージしていたので、『なんじゃここは!?』って感じでしたね(笑)」 第10山岳師団は寒冷地と山間部で戦う専門の部隊。ニューヨーク州といってもマンハッタンの真逆、北西の果てのオンタリオ湖の近くにある。 「自分は免除されましたが、-30℃の中で雪中行軍する訓練もありました。自分はそこでCQBの教官をやってみないかと言われたんです」 CQBとはClose Quarters Battle(近接戦闘術)のこと。室内や市街地などの狭い空間で戦う近距離銃撃戦テクだ。 「CQBと武器の使い方、あとは壁を爆薬で壊して突入することもあるので、C4爆薬の使い方なども教えました。 それでしばらくしたらまた韓国に行けと言われたんです。しかもそのときは武器科の席が埋まっていて、そこで確定申告や税金関係の部署で働きました。アメリカは自分で確定申告しなければならないので、その手助けです。1週間勉強して、その業務を行なうための資格も取りました」 陸軍に来てから毎年業務が変わる目まぐるしい日々だ。 「もともとメディックだった自分が武器科に行かされるのもおかしな話で......。陸軍は海兵隊や海軍と比べて人数が多いから、人事異動が雑だと感じましたね」 しかし、そんな多様な経験が買われ、陸軍の兵站大学の教官への転属が決まった。