分析結果は「日本必敗」、それでも開戦に突き進んだ日本軍…ドイツ頼みの希望的観測が要因か
来年は戦後80年、昭和の始まりから100年目となる。日本が戦争へと向かい、引き返せなかったのはなぜか。
開戦想定の分析結果は「日本必敗」
今年9月まで放送されたNHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」は、太平洋戦争を描くドラマでもあった。主人公寅子とのちに結ばれる最高裁調査官は戦前、「総力戦研究所」に所属していた。この組織は、実在した。
各省庁の若手エリートが1940年秋に集められ開設された。総理大臣直轄の組織で、国家総力戦に関する調査研究や教育訓練が行われ、日米開戦を想定するための疑似内閣が作られた。研究生たちがデータを分析し、議論を重ね、翌年8月に出した結論は「日米戦日本必敗」。政府首脳にも伝えられたが、約3か月後、日本は戦争に踏み切った。
開戦前に「必敗」を予想した研究所は、今の時代にも強いメッセージを残す。劇団チョコレートケーキの古川健さんもこれを受け取り、舞台「帰還不能点」の脚本を書いた。
「我々は軍部にだまされたんだ、って総括でいいのかという疑問はずっとあった」と古川さんは言う。「総力戦研究所は、特別優れたことを言っているわけではない。日米の戦力差を分析すれば、当時でも当然の結論だった。むしろ分かっていながら、なぜ開戦にいたったのか。その意思決定に問題はなかったのか。そこを提起したかった」
開戦となれば厳しい結果になると予想していた組織は、実は他にもある。牧野邦昭・慶応大教授(近代日本経済思想史)によれば、陸軍は39年9月、「陸軍省戦争経済研究班」の設置を決め、第一級の学者を集めて検討を重ね、開戦前に上層部に報告している。牧野教授は「国力分析の正確な情報は提供されていた。日中戦争の倍の規模の戦争には耐えられないという結論も出ていた」と説明する。
陸軍や政府上層部がこうした情報を得ていただけでなく、新聞や子供向けの雑誌にも、日本は資源がない国だと書かれていた。それでも対米開戦というハイリスクな道が選択された。「多くの人に資源がないことが刷り込まれていた。だからこそ逆に、石油の禁輸措置なんかになったら、どうしようもないと思ってしまった」(牧野教授)