「権利は使わなければ輝かない」ブラック企業から自分を守る手段
残業代の未払いやパワーハラスメントなど「ブラック企業」の被害に歯止めがかかっていない。厚生労働省などの相談電話に寄せられる件数や内容は、ブラック企業の労働実態が問題視され、国が対策に本腰を入れだした今も深刻な状況が続く。「労働者の権利は使わなければ輝かない」「自分の権利は自らが主張しないと状況は悪化するばかり」――。労働問題に取り組む関係者は被害者らにそうアドバイスを送る。 ◇
「この会社に勤務し続ける理由の一つは、かつての私のように過重労働で倒れる人や苦しんでいる人たちを何らかの形で支えたいから。働きやすい環境づくりの役に立ちたい」。未払い残業代請求などで会社を訴え、5年前に勝訴した東京都内在住の清水文美(ふみよし)さん(36)は淡々と話す。 高校卒業後にアルバイト生活などを経て2006年9月、清水さんは24時間営業のコンビニチェーンに入社した。3か月を経過したころから、1日15時間労働や月の残業100時間超の状態は当たり前に。翌07年6月には入社後わずか9か月で管理職扱いの店長に「昇格」する。
「名ばかり管理職」で残業代ゼロ うつ病で休職
だが管理職であることを理由に残業代が打ち切られ、昇格前の残業代込みの給料29万円は21万円へと大幅ダウンを強いられた。一方、店舗責任者として「バイトの穴埋めなどで37日間連続勤務に加え、4日で計80時間近く働き続けたことも」と振り返る。 長時間労働による体の異変は店長就任前後からすでに表れていた。時折、勤務中に腹痛が起きて動けなくなった。仕事への意欲の衰えとともに食欲も落ち始め、不眠や吐き気で朝起きるのさえ辛くなった。ろれつも回らなくなってしまった。 「入社1年目だから会社には従順に。代わりの人がいない以上、与えられた仕事はきちんとこなそう」。体調が悪化していく中でもそうした意識は強かった。「当時は他の店長も残業代ゼロで長時間働いていたので、会社の慣行というものに従うしか選択肢はなかった。やっと念願だった正社員になれたので、辛くとも店長職を全うすれば将来は開かれるのではとも。体が壊れるより速いスピードで考える力が奪われてしまっていたんです」。 うつ病の中でも危ない状態――。専門の医療機関の診断結果を受け、休職に踏み切ったのは店長就任から4か月後の07年10月のことだった。当時会社に労働組合はなく、個人でも加入できる「首都圏青年ユニオン」に休職に至った経緯などを打ち明けると、自分の立場は権限のない肩書だけの「名ばかり管理職」だったことが分かった。会社側が残業代を支払わないための口実として法を悪用していたことに気づかされた。 同ユニオンの後押しを得て翌08年、清水さんは会社を相手取って未払い残業代と慰謝料請求の訴訟を起こし、11年5月に勝訴する。休職から6年後の13年9月には正社員として復職を果たした。 「戦友」ともいえる07年当時の店長たちの多くはすでに会社を去っていた。敗訴という裁判結果を受けて会社側は店長にも残業代を支払うようになり、07年当時95%超だったとされる新卒者の数年内の離職率にも改善の兆しが見え始めてはいる。とはいえ、過重労働などを理由に退社する社員は今も後を絶たないという。 体調面の問題から、清水さんは医師の指示で復職時の週3日、1日4時間の勤務形態が続いている。当然のように月収は低く、時給換算では年々減額されている。「いつになったらフルタイムで働けるのか」とも言われる。 「私は健康を奪われ、26歳からの10年間という働き盛りの時期も奪われてしまいましたが、会社にとっては小さなことなんです。裁判でも『健康管理は自己責任』と主張していましたから反省度も低いんです」。そう話す清水さんは、会社の姿勢が改まらないからこそ、一人一人の社員を大切にする方向に変わってほしいからこそ、「辛くとも安易には辞められない」と思いを固めている。