南半球の悲劇 英国と豪州が生んだ大型FRセダン「レイランドP76」の奇妙な物語
元植民地で作られた大型セダンの話
かつて英国が植民地を保有していた地域では、自動車が作られることが多かった。 英国の自動車メーカーであるブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)は、オーストラリアから南アフリカ、トリニダードからニュージーランドまで、幅広い地域で自動車を生産・販売していた。おそらく、独立を求める元植民地の生意気な態度への罰として。 【写真】英国メーカーが作った大排気量V8セダン【レイランドP76を写真で見る】 (18枚)
BMC帝国
BMCの南半球での事業は広範囲にわたり、オーストラリア向けの専用モデルを開発するほど好調だった。しかし、その成果はしばしば、同社がどのように市場調査を行っているのか疑問に思わせるものであった。 1950年代後半に登場したモーリス・メジャー(写真)やオースチン・ランサーといった恐ろしい変異体は、ウーズレー1500を奇妙に延長したものである。ボディの長さは変えず、ホイールベースを伸ばすことで全体を大きく見せるという手法が用いられた。
ノマド
これらに続いて登場したのが、モーリス1100の突然変異体であるノマド(写真)である。トランスミッションがひどく、走行性能は悪かった。1970年代にはオースチン1800を四角くしたキンバリーとタスマンが登場したが、その品質はひどいもので、次期型を記録的な速さで急いで作らざるを得ないほどだった。 この頃には、BMCは「ブリティッシュ・レイランド(BL)」と社名を変えていたが、根本的に不適切な英国モデルを無理に現地に適応させた浅はかさと、しばしば粗悪な作りによって、その評判は深刻な打撃を受けていた。
新世界
BMCが出した答えは、オーストラリアのニーズに合うよう完全に新しいクルマを設計するというものだった。それはすなわち、当時オーストラリア人に人気のあったホールデン・キングスウッド、フォード・フェアモント、クライスラー・ヴァリアントとほぼ同じ形の、大型で機械的にシンプルな後輪駆動セダンである。 これらのモデルは頑丈で修理が簡単で、直列6気筒またはV8エンジンを搭載し、ベンチシートタイプの前部座席を備えていることが多かった。そうした要素を組み合わせていった結果、レイランドP76が誕生した。