中森明菜から小田和正、米津玄師、YOASOBIまで 昭和・平成・令和のヒットソングからわかる時代の変化
90年代をピークに縮小傾向にあるとされる音楽業界だが、近年ではYOASOBIやCreepy Nutsが、日本を飛び出してグローバルチャートを賑わせたのは記憶に新しい。 昭和から令和までの間に消費者が同じ時間に同じところから情報を得ていた時代が終わり、情報を入手する手段の細分化が進む今、ヒットの定義・仕組みも大きく変わってきている。 音楽業界を考察してきた音楽評論家のスージー鈴木氏と音楽ジャーナリストの柴那典氏、そしてビルボードジャパン・チャートディレクターの礒崎誠二氏が語った時代の変化とは? 以下、博報堂独自の「コンテンツファン消費行動調査」のデータをもとに、現在の音楽業界や音楽ファンの実態を明らかにした『令和ヒットの方程式』(祥伝社)掲載の鼎談「令和のヒットを考える」より冒頭部分を紹介する。
資本主義の力が強すぎた90年代
──まず、スージーさんに昭和のヒットについてお聞きしたいのですが、やはり《勝手にシンドバッド》が鍵ですか? 鈴木 サザンオールスターズの登場は、言葉の乗せ方やリズム、譜面の作り方といった音楽的な意味で新しさがありました。ただ、別の視点からは中森明菜の《DESIRE-情熱-》を推させてください。私は『中森明菜の音楽 1982-1991』(辰巳出版)という本の中でなぜ中森明菜は支持されたのか? ということを書いたのですが、ざっくり言うと、バブル時代の東京で二十歳前後の女の子がファッションだけじゃなく、曲のタイトルやアルバムの制作プロセスまでしっかりコントロールして細腕一本でやりきったことだと思うんです。まだ女性の地位が低かった時代に、“中森明菜”という存在がヒットにつながる要素だったんだなと思います。 ──アーティストの背景や存在感がヒットに大きく結びついていたわけですね。 鈴木 やはりテレビの存在が大きかったのです。歌番組もさることながら、CMの影響力も今とは比べ物にならなかった。今の若者に「カネボウと資生堂が若者にウケるイメージの曲を季節ごとにタイアップして、社会的なヒットを作り出していた」と言っても理解してもらえない。逆に「なぜそんなことが起きたんですか?」と質問されてしまう。その答えは私もわからないけど、テレビCMをみんなが凝視して、その中から資生堂の《時間よ止まれ》(矢沢永吉)やカネボウの《Mr.サマータイム ―夏物語―》(サーカス)にみんなが注目し、そういったキャンペーンソングが毎年大ヒットしていたのです。 ──90年代もタイアップはCDの売上に直結していましたし、タイアップさえ取れば基本的にオリコンチャートの上位にランキング入りする時代でもありました。 鈴木 私は『平成Jポップと令和歌謡』(彩流社)で、昔より今のほうがいいと書きました。なぜかというと、昭和~平成はヒットを生み出すためにレコード会社と広告会社が一緒に戦略を描き、ヒットを生み出していました。しかし、今はYouTubeなどをきっかけに才能ある人がどんどん出てくる。それは民主的かつ健康的でいいんじゃないかと思うわけです。90年代はさすがに資本主義の力が強すぎました。私の経験談ですが、某バンドのタイアップを決めようとしたら、2500GRP(延べ視聴率)以上を確保してくれるならタイアップOKって書いてある資料を渡されたこともありますからね。