中森明菜から小田和正、米津玄師、YOASOBIまで 昭和・平成・令和のヒットソングからわかる時代の変化
平成は3つの時代でヒットの構造が違う
──柴さんは『平成のヒット曲』(新潮新書)の中で平成に生まれたヒット曲について分析されています。 柴 平成は1989年から2019年まででちょうど10年ごとに区切れます。僕はそれを「ミリオンセラーの時代」「スタンダードソングの時代」「ソーシャルメディアの時代」という10年ずつの3つに分けて、『平成のヒット曲』に書きました。具体的に曲名を挙げるとまずミリオンセラーの時代の代表曲のひとつは、小田和正の《ラブ・ストーリーは突然に》です。ドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌だったこの曲は、カラオケでも多くの人に歌われ、8センチシングルCDが売れに売れた。フジテレビの月9というブランドが強烈な影響力を持っており、その象徴が《ラブ・ストーリーは突然に》だったのです。 ──90年代前半はミリオンセラーも多いです。 柴 ゼロ年代初頭までがシングルCDの全盛期です。とくにサザンオールスターズの《TSUNAMI》とSMAPの《世界に一つだけの花》は大ヒットしました。《世界に一つだけの花》は300万枚以上のセールスを記録しています。SMAPに関しては2016年の解散騒動のあとにCDが売れたというのも興味深い現象でした。ファンの方たちが音楽を聴くという目的ではなく、なんらかの意思表示のために買うという行為でした。当時は「推し活」という言葉ではなかったですが、あの行為はアグレッシブな推し活だったと位置づけています。 ──ソーシャルメディアの時代の一曲は? 柴 ピコ太郎の《PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)》か米津玄師の《Lemon》で迷うのですが、1曲と言われれば《Lemon》です。米津玄師はもともとボカロPからキャリアをスタートさせている人で、日本にしかない文化から出てきたこれまでにないタイプのミュージシャンです。彼は音楽だけでなくアニメーションも作れたりする。サブカルチャーとして始まったボカロから、平成の最後に《Lemon》という後々の世にも残る大ヒット曲が生まれたのは象徴的なことだと思います。 ──ネットからスタートしてきたミュージシャンが、オーバーグラウンドの世界で大ヒットするというのは、これまでの昭和・平成ではなかったことです。 柴 YouTubeやニコニコ動画から新しい才能が出てくるようになったのが2010年代の大きな出来事で、その最も象徴的なアーティストが米津玄師です。この流れが令和にも続いています。 鈴木 ネットから出た方たちは音楽的にはマイナー調の楽曲を手掛けていることが多い。歌い出しの「ドレミ~ドラ」というフレーズが印象的で、私から見ればある意味で昭和歌謡に近いと思いました。私は「令和歌謡」と言っていますが、それは《Lemon》を意識してのこと。時代が再び陰鬱な曲を求めているのかなと思います。 柴 米津玄師にはボカロ時代から注目していて、インタビューをしたときに、ポップミュージックのど真ん中に行きたいと言っていたことが印象に残っています。CMだったりドラマの主題歌だったり、大衆に消費されるポップミュージックを作るということを有言実行しているんだなと思います。 鈴木 それで言うと、Vaundyや藤井風もメジャーレーベルに対する抵抗感を持っていない。かつてのように音楽でバリバリ稼ぐことができない状況も影響していると思いますが、メジャーに対しての潔さを感じます。 柴 90年代やゼロ年代は売れていることがミュージシャンにとってプレッシャーやマイナスに働くこともあり、テレビにあえて出ないという人もいましたが、そういう感覚は時代的にも洗い流された感じはしますよね。