中森明菜から小田和正、米津玄師、YOASOBIまで 昭和・平成・令和のヒットソングからわかる時代の変化
新人が出やすくなった令和
礒崎 令和を代表する曲を選ぶのはすごく簡単です。Adoの《うっせぇわ》とYOASOBIの《アイドル》とCreepy Nutsの《Bling-Bang-Bang-Born》です。この3曲の共通項は、CDシングルがヒットにならなくなった時代の曲ということです。要はダウンロードやサブスクから生まれてきた時代のヒット曲です。幼稚園児たちも踊るのが令和です。あと、新人が出やすくなったのもいいことだと感じています。 鈴木 以前はチャートの上のほうがガチガチに固まっていて、AKBグループと旧ジャニーズ勢がほとんどを占めていた。今までのCDだけの売上じゃわからない部分がビルボードジャパンのチャートに反映されるようになったという意味でも、ビルボードチャートが果たした役割は大きいです。 礒崎 ありがとうございます。今、聴かれている曲、売れている曲を反映させるという意味では、10年代の半ばくらいに荻野目洋子の《ダンシング・ヒーロー》が、いきなりチャートの2位になったことがありました。スポーツ紙にも取り上げられるくらいの出来事でしたけど、ああいう現象は楽しいですね。 *** 出席者 スージー鈴木(すーじー・すずき) 1966(昭和41)年、大阪府生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。在職中より音楽評論家として活躍。2021(令和3)年、55歳になったのを機に同社を退職。著書に『サザンオールスターズ 1978-1985』『EPICソニーとその時代』『桑田佳祐論』『中森明菜の音楽 1982-1991』など。 柴那典(しば・とものり) 1976(昭和51)年、神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立。音楽やビジネスを中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。著書に『平成のヒット曲』『ヒットの崩壊』『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』など。 礒崎誠二(いそざき・せいじ) 1992(平成4)年にキティ・エンタープライズに入社し、ライブ制作に携わる。2006年に阪神コンテンツリンクに入社し、ビルボードの日本国内のブランディングを担当。ジャパンチャートの設計に当初から関わる。著書に『ビルボードジャパンの挑戦 ヒットチャート解体新書』。 [文]祥伝社 司会:博報堂DYグループ コンテンツビジネスラボ 構成:高畠正人 協力:祥伝社 祥伝社 Book Bang編集部 新潮社
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