もし自分が新型コロナに感染したら? ウイルスよりも恐ろしいもの
感染症から見える“にんげん”の2つの側面
感染症への差別をどう克服していくか。 それを考えるにあたり、新型コロナとハンセン病の双方を通して見える“にんげん”の姿を記したい。2つの側面があるように思う。 1つ目は、「自分の身」に何らかの支障が及ぶ可能性があれば、差別する側に傾いてしまう、という点。 新型コロナに感染した人の居住地や勤務先をSNS上に書き込み、感染者が引越しを考えねばならないほど追い込んだり、「差別はいけない」と頭ではわかっていても、子や孫の結婚相手の身内にハンセン病元患者がいたら躊躇(ちゅうちょ)してしまったり。(詳しくは関連記事「人間は差別するものなのか?」参照) 前者について、インターネット上の人権問題に取り組んでいる「反差別・人権研究所みえ」の松村元樹事務局長は、書き込む方の心理について「(感染者は)ウイルスを市民生活に持ち込み、生命や健康を脅かしたり、休業・自粛など生活を圧迫する“加害者”だと位置付けてしまっているのではないでしょうか」と推測する。 2点目は、差別が「非常時」といえる局面で露呈(ろてい)すること。 新型コロナについては述べてきた通りだが、ハンセン病患者も“お国のー大事”には、社会の隅に追いやられた。戦争につき進んでいった時代である。 病気故に「お国のために戦えない=国の役に立たない」とみなされた人たちは、市民などから通報を受け療養所に送りこまれた。もちろん弱者の保護を目的にした措置ではない。 ハンセン病療養所の医官は「陸軍大演習が予定されていたおかげで収容が進んだ」という趣旨を書き残している(1937年「愛生」誌「伊勢の初旅」)。患者が出た家は「村八分」にされたほか、患者への医療・食糧が後回しにされた結果、ハンセン病療養所・邑久光明園(岡山県)では1年間に5分の1の入所者が亡くなった。
私たちの問題
三重県の鈴木英敬知事は、新型コロナ感染者への差別事象を明らかにした会見で、こう述べた。 「いつ・どこで・誰が感染するか分かりません。自分の家族や友人がそういう目に遭ったら本当に辛いと思います。ぜひそういう気持ちになってほしい」 社会を構成する個々人が偏見・差別と決別できずにいるなら、それが自分や家族に跳ね返ってくることも覚悟しなければならない。 ハンセン病療養所で暮らす人たちは、二度とそのような状況が起きないよう願っている。だから、取材を受け、語ってくれるのだ。 邑久光明園に隣接する療養所・長島愛生園で暮らす三重県出身の女性(82歳)は、電話口で私に静かに話してくれた。 「差別された人にとって、受けた傷はすぐには癒えないのではないでしょうか。新型コロナへの偏見が何年、何十年と続かないことを願っています。ハンセン病のように」 苦難の人生を乗り越えてきた人たちの言葉をどう受け止め行動するか、一人ひとりが問われている。