「早い!便利!助かる!」問屋業界の常識を打ち破るトラスコ中山の戦略
客のニーズを追い続ける~業界最後発からの逆転劇
朝7時、大きなキャリーケースを二つ持ち歩いて中山が出社してきた。キャリーケースの中身は資料。直近の仕事に関する物だと言う。もう一つのキャリーケースには先々の仕事に関連した資料が詰まっている。
中山はかなりの心配性だ。名刺入れとは別に長財布と手帳の中にも名刺を入れている。「名刺を切らさないことを心がけています」と言う。そして名刺入れには、もしもの時のために1万円札を忍ばせている。 「社員は笑っていますが、経営としても「心配性」は大事。成長著しい業界ではないので、その中を生き抜くためには細心の注意を払うことが大事だと思います」(中山)
トラスコ中山が「中山機工商会」として創業したのは1959年、父親が大阪で起こした工業用商材の問屋だった。業界最後発だったが、ドラム缶で仕入れたサビ止め剤を小分けにして売るなど、先行するライバルとは違った品揃えで客を増やしていった。 中山は1981年、近畿大学を卒業後に入社。倉庫から始まり、配送、経理と、じっくり現場を経験し、体で仕事を覚えたと言う。 「勉強では何周も遅れたかもしれないけど、社会人のスタートラインでいったんリセットされた。今度は絶対周回遅れにはならないという気持ちを持っていました」(中山) 次第に大きくなったのが、ライバル会社に追いつきたいという気持ち。ある日、先輩に「なぜ追いつけないのか」と聞くと、「使っている交際費の額が違う」という答えだった。 「飲み食い接待で買ってもらうのが主流の時代だったのですが、やはり必要な商品を届けることだろう、と。それが一番分かりやすい本質ですよね」(中山) 追求すべきは客のニーズに応えること。これが後の経営の原点になる。 1994年、中山は35歳で社長に就任。まず、「会社はどこに向かうべきか?」と、10日間社長室にこもって考えた。ライバルとどう差別化するか、そもそもこの会社は何のために存在しているのか。そこで打ち出したテーマが「がんばれ!日本のモノづくり」だった。製造業と向き合い、現場に必要とされる問屋になると決めた。 「自分の頭で考えると、世の中にはない面白い答えや教科書にはない答えがいっぱいあると気付いた。とにかく考えて、考えて、最善の方法を探していこうと」(中山) ここから教科書にはない、在庫を大量に持ち即納するという戦略を進めていく。