昭和の日本人はなぜ海外で“暴走”したのか? 90年代まで続いた「売春ツアー」、経済大国の蛮行が現代に問いかけるものとは
1990年代まで継続
キーセン観光は長期間続き、その問題点が指摘され続けていた。1990(平成2)年7月25日付の朝日新聞には、韓国の代表的な観光地である済州島の現状が報じられている。 同島では、リゾート地としての大規模な開発が進む一方で、外国人観光客の6割以上、そしてキーセン料亭の客の9割以上が日本人だとされていた。このようなゆがんだ観光形態は、1990年代後半に韓国が経済発展を遂げ、日韓間の経済格差が縮小するまで続いた。その間、日本の観光産業は、この非道徳的なビジネスから大きな利益を得ていた。この事実は、経済的優位性に基づく搾取構造によって、旅行業界が潤っていたことを示している。 日本の旅行業界が売春ツアーを「恥ずべきビジネス」として認識し始めたのは比較的最近である。この認識の変化を示すのが、2003年10月号の『財界展望』に掲載されたジャーナリスト・安田浩一による告発記事だ。この記事では、当時大手旅行会社が中国・海南島で売春ツアーを続けていた実態が明らかにされている。記事には、以下のような記述がある。 「1970年代から80年代にかけて、東南アジアにおける日本人団体旅行客の買春ツアーは、国際的な非難を浴びた。各国の人権団体、女性団体からは「セックスアニマル」とのありがたくない称号を与えられ、ツアーを送り出す旅行会社にも抗議が相次いだ。そうした国際世論もあってか、90年代に入ってからは、少なくとも大手旅行会社は買春から手を引いたと思われていた」 この記述は、売春ツアーに対する日本の旅行業界の態度の変遷を如実に示している。1990年代までは、国際的な批判を受けつつも、収益を生む“通常のビジネス”として扱われていたのである。
東南アジアで発生した最悪の人権侵害
売春ツアーが引き起こした最も深刻な人権侵害は、東南アジアで発生している。 1980年代以降、タイのバンコクを中心に東南アジアの都市は、安価な性的サービスを求める観光客でにぎわい始めた。特に深刻だったのは、未成年、特に10代の少女たちが売春を強いられるという問題である。 日本の週刊誌『週刊大衆』1982(昭和57)年1月25日号では、自民党の山口シズエ参議院議員がタイを訪れ、10代前半、さらには10歳にも満たない少女たちが売春を強いられている実態を報じた。この報道により、日本でも東南アジアにおける児童売春の深刻さが知られるようになった。 しかし、この問題に対する国際的な取り組みは遅々として進まなかった。現地政府の法整備や取り締まりは不十分なまま、東南アジアは世界中の変態性欲者が少女を買う場所として認識されるようになっていた。