野菜は雑誌の上で切る、オーブンの中には本…「食へのこだわりなし」の自分をガラリと変えた、驚愕と感動の美味体験【住吉美紀】
フリーアナウンサーの住吉美紀さんが50代の入り口に立って始めた、「暮らしと人生の棚おろし」を綴ります。 【実際の画像】アメリカの家の庭でハンバーガーにかぶりつく子供時代の住吉さん&弟 考えてみれば、前回書いたお肉との付き合いだけでなく、食全般における歳を追っての変化も、私は極端だ。 小学校に入る前に家族で渡米したため、子供時代の食の好みは完全な”アメリカン”だった。外食は「バーガー、バーガー、ピザ、バーガー」という感じ。ホットドッグやドーナツなども本当によく食べた。両親が出掛けてお留守番の夜は決まって弟と「TVディナー」。肉の主菜と野菜、マッシュポテトがアルミの器にセットされた冷凍食で、電子レンジでチンして食べる、アメリカでは極めて庶民的なお手軽ワンプレート食だ。留守番で仕方がないからというよりは喜んで、むしろ好んで食べていた。 給食は、メキシカン·タコス、チリビーンズ煮、あとはポテトとグレイビーなどで、好きなコーンのバター炒めが出ると大盛りにしてもらっていた。また、いま現在も「おふくろの味は?」と聞かれてまず浮かぶのは、母がよく焼いてくれた「ズッキーニブレッド」。ズッキーニをすりおろして、小麦粉と卵、砂糖、シナモンやナツメグ等スパイスと合わせて焼くアメリカの家庭的なおやつで、大好きだった。もちろん、カリフォルニア米を炊いて、鶏の唐揚げやカレーなど日本の家庭料理も作ってもらったが、基本の舌はアメリカ人だったと思う。
大人になっても、牛肉を食べないこと以外はあまり食にこだわりがなく、とりあえず好きなものでお腹をみたせばオーケイ、と思っていた。NHKの新人時代、福島局や仙台局に赴任していた頃は仕事ばかりしていて、職場のデスクの引き出しに、塩味のナビスコ「プレミアムクラッカー」を必ず一箱常備していた。台本書きや編集作業が深夜に及び、ご飯を食べ逃したとき、コンビニで買ってきた「さけるチーズ」と一緒にクラッカーを小袋2つ分くらい食べておけば何とかなった。20代は、別に白飯も味噌汁もしょっちゅう食べなくてもいい、とか、食事に時間とお金を使うくらいならカラオケに行きたい、とか思っていた。