58歳・川上麻衣子さんの脱「スマホ依存」計画。時代に追いつけない自分が悪いのか…葛藤と小さな抵抗
「私は時代追いつけていない」と自覚し…
そもそも、紙に書かないと覚えない。印刷しないと熟読できない…。 その時点で時代に追いついていないのでしょう。 いまだにLINEを送るとすぐに電話をかけてくる友人がいるのも、昭和世代ならではかもしれません。 私自身は気づけば、急用以外では電話で会話することはほぼなくなりました。ただ、先日古い歴代の携帯電話が出てきて、懐かしさに手に取るとなんとも不思議なもので、耳に当ててだれかと話したくなりました。 私なりに考察してみたところ、携帯電話がスマホに代わり、平らなフォルムになったことで、耳で声を聴き話すための道具ではなくなったのでは、ということです。 そして若い人たちの電話が苦手という理由については、昭和世代と違って、物心ついた頃から「電話は個人的」なものだったということにあると最近聞きました。 昭和世代にとって電話は一家に一台あればぜいたく。基本、電話は大人が使うものという認識でしたから、早く大人になって自由に電話を使えることが憧れでした。 親の顔色を気にせずに思う存分、友達と長電話を楽しむことは、最高の時間でした。 そう考えると、知らない人からかかってくることが当然だった私たち世代と違い、小さい頃から個人的な仲間との通信手段として活用してきた若者にとっては、見知らぬ人との電話での会話は確かに苦痛なものだと察します。
スマホでイライラする毎日から脱却したい
営業の電話や、音声案内の果てにようやくたどり着く対人でのお問合せ電話が、どれもマニュアル化された、まったく人間味を感じない対応ばかりになったことも仕方ないのでしょう。 そんなこんなにイライラすること自体が自律神経を乱す原因になりそうです。加えて、スマホを手にしている時間が日々の生活のなかでかなり多いことも、少なからず影響はあるでしょう。 携帯しているのは電話ではなく膨大な情報が詰まったコンピュータです。脳みそが破壊されてしまいそう…。そんなふうに思うのは私だけでしょうか。 通勤電車の車内ではほとんどの人が、スマホを眺めています。しかもかなりの割合で、ゲームに夢中の大人を発見します。 個人的な意見ですが、幼い頃、いい大人が車内で漫画雑誌を読んでいる姿に少し幻滅した感情と似たものを、現代の車内で感じています。いやいや、それ以上の違和感が電車内に蔓延しています。 人の振り見て我が振り直せ。ゲーム自体は私もいくつかはまった経験があるだけに、「依存」の怖さを実感するのです。