〈まぎれもなく生き地獄〉…日本兵が米軍と戦う体力は残っていなかった「壮絶すぎる実態」
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が13刷ベストセラーとなっている。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
作業は安全なイメージだったが……
高齢者が大半を占める遺骨収集作業は安全なイメージが強かったが、実際は違った。 現場活動初日。「235T-3」という壕を捜索していたときのことだ。 壕内部の幅は1メートルで、高さは最も高いところでも1.6メートル。長さは10メートルほどだった。入り口は「首なし兵士」の壕の近くの崖にあった。 内部は長年の風雨の影響で土砂が積もっていた。積もった深さを調べるために二人がスコップを手に持って入ることになった。僕はそのうちの一人として内部に入りたいと志願した。硫黄島は日本側守備隊が総延長18キロもの地下壕を構築し、それを駆使して米軍に抗った特異な戦場だ。ついにその一つに入る時が来た、と僕の胸は高鳴った。 入り口をくぐると、内部はとんでもない熱さだった。火山活動による地熱でサウナ状態だった。作業服は長袖長ズボン。スコップを持って入るだけで汗が噴き出た。中にいられるのは10分が限界だな、と思った。 立ち上がれない高さでの作業。入り口が狭いため日光はほとんど入らない。だから目視確認できるのはヘッドライトで照らされた1~2メートルの範囲に限られた。七十数年前に構築された壕は長年、火山性地震の影響を受けているはずだ。崩落して生き埋めになる恐怖が頭をよぎる。戦闘中の兵士たちも同じだっただろう。いつ砲爆撃で生き埋めになるかという恐ろしさ。死に方はいろいろあるが、中でも「生き埋め」は苦しそうだ。 僕は、実は閉所恐怖症の気がある。狭い機器に閉じ込める形で行われる健康診断の「MRI検査」が大の苦手だ。僕は10分もいられずに、壕を出た。その理由は熱さに耐えきれなかったこと以外にもあった。生き埋めになるかもしれない恐怖に負けたのだ。