〈まぎれもなく生き地獄〉…日本兵が米軍と戦う体力は残っていなかった「壮絶すぎる実態」
内部は危険との判定、作業は即中止に
「化学さん」とは、ガス検知の技能・知識を持つ自衛官の通称だった。彼らは本土の陸自駐屯地から派遣され、収集団の現場活動に同行する。硫黄島は有毒な火山ガスに満ちた地下壕が少なくないからだ。収集団が地下壕内での捜索活動を行う際、化学さんは酸素ボンベを背負い、防毒マスクを着けた姿で真っ先に内部に入り、専門機器を使って内部の空気に危険性がないか調べる。調べる対象は酸素、硫化水素、一酸化炭素、可燃性ガスなどの濃度だ。 この収集団に同行した化学さんは二人だった。二人は収集団の作業開始前に内部を調べていたが、そのときの検知では問題なかった。副団長から再検査を依頼された化学さんは内部に入り、数分後に戻るなり、こう伝えた。 「安全が確認できなかった。やめましょう。一酸化炭素の濃度が非常に高くなっている。安全基準を超えているし、熱い。もっと濃度が高くなる場合もあると考えました。だからやめましょう。意識不明とか最悪の事態になってしまう」 その話を聞いて、僕はぞっとした。もしかしたら、僕は意識不明の重体になっていたかもしれないのだ。「一酸化炭素中毒になると、唇が紫色になるって聞いたことがある」と団員の一人が言うと、それまでに中に入った団員たちが慌ててお互いの唇の色を確認し合った。この壕の作業は、以後の検知で安全が確認されるまで中止となった。結局、再開はされなかった。 危険と隣り合わせの遺骨収集作業。油断してはだめだ、と僕は初日から気を引き締めることになった。 つづく「「頭がそっくりない遺体が多い島なんだよ」…硫黄島に初上陸して目撃した「首なし兵士」の衝撃」では、硫黄島上陸翌日に始まった遺骨収集を衝撃レポートする。
酒井 聡平(北海道新聞記者)