〈まぎれもなく生き地獄〉…日本兵が米軍と戦う体力は残っていなかった「壮絶すぎる実態」
二度目の捜索では、異常な息切れ
僕はサウナ好きだが、この時の汗のかき方は、過去に経験したことのないものだった。熱さによる汗と、スコップを振るう運動による汗、そして恐怖の冷や汗が混じっていた。戦時中の硫黄島の兵士たちは壕を掘るために連日連夜、この作業を続けていたのだ。 硫黄島は今も当時も川のない渇水の島だ。生還者の大曲覚氏の証言が綴られた久山忍『英雄なき島』(光人社NF文庫)によると、兵士に支給された1日の飲料水は水筒1本だった。入っている水の量は500ミリリットルのペットボトルよりも少なかったという。 地熱で満ちた壕の中で土を掘る作業は〈まぎれもなく生き地獄〉で〈苦しさのあまり発する兵たちのあえぎ声とうめき声で満ち〉ていた。〈こんな苦しい作業をするぐらいなら死んだほうが楽だ〉と音を上げる兵士もいた。〈硫黄島の兵隊は、陣地構築の段階で体力がどん底まで落ちた。(中略)米軍が上陸してきた時には戦う体力は残っていなかった〉。大曲氏はそんな証言を残していた。 それに比べると、遺骨収集の現場は、まぎれもなく天国だった。ポカリスエットの粉末を溶かした冷水の携行用のタンクが置かれていた。熱さと喉の渇きに耐えかねて壕から飛び出した僕は一目散にそのタンクを目指し、団員共用のプラスチック製コップに注いで一気に飲み干した。渇ききった熱い体が内部から潤い、体温が下がる感覚がした。「これ、人生で一番うまいポカリでした!」と言うと、壕の前にいた皆が笑った。 息が整ったところで再び内部に入り、スコップを振るった。僕が外にいる間、別の団員が中に入って作業していたため、壕の行き止まり部分は先ほどよりも数センチ深く掘り下げられていた。 今度も10分に至らず息が上がり、出口に向かった。半分ほど戻ったところで、地熱に満ちた空気に外気が混じり「ああ、空気がうまい!」と声が出た。外に飛び出すやいなや、僕はばたりと大の字になって倒れた。心配する他の団員たちに僕は報告した。 「最初に入った時より、壕の底の熱さが増していました。だから空気もより熱くなっていた気がする。そして異常に息切れするんですが、これは何なんですかね」 それを聞いていた団員が「深く掘れば掘るほど地熱が高くなることもある。もう地下足袋の人は入らない方が良い。足の裏がやけどする」と言った。僕が履いていたのは厚底の安全靴だった。 僕の異常な息切れを見た副団長が判断を下した。 「では“カガクサン”に確認してもらうことにしましょう」