斉藤光毅が語るパリ五輪と新天地イングランド「現状をどう打開するか、全力でもがいている」
【認めてもらえる結果を残したかった】 パリオリンピックの日本は、参加16カ国で唯一オーバーエイジを招集しなかった。招集を断念せざるを得なかったのだが、U-23世代のパフォーマンスはオーバーエイジ不在を感じさせなかった。 「オーバーエイジが加わって、というシチュエーションで戦っていないので、比較をするのは難しいですが......。観てくれた人たちがU-23世代だけでもよかったと思ってくれたのなら、それはありがたいことです。 強化期間ではパリオリンピックを想定して、タフな日程で集まってタフな試合をして、ということもあったので、チームビルディングはすごくよかった。ただ、自分たちがもっと勝ち進んだら、もっと多くの人がU-23世代だけでもよかった、と思ってくれたのでは......もっと多くの人に認めてもらえるような結果を、残したかったというのはあります」 パリオリンピックを戦い終えると、その去就が注目された。オランダ・エールディビジのスパルタ・ロッテルダムからのステップアップも囁かれていたなかで、8月13日にイングランド2部チャンピオンシップのクイーンズ・パーク・レンジャーズ(QPR)への加入がアナウンスされる。リーグ戦開幕直後のタイミングでの移籍となった。 「オランダでのシーズンが終わって、いろいろと動いてもらっていました。パリ五輪の時点では移籍先が決まっていなかったので、活躍してオファーを......っていう気持ちはありました」 移籍発表からわずか4日後、斉藤は新天地デビューを飾る。アウェーのシェフィールド・ユナイテッド戦で67分から途中出場すると、1-2で迎えた88分に同点ゴールをアシストした。 斉藤の保有元であるベルギー2部のロンメルは、シティ・フットボール・グループに名を連ねる。そのため、パリオリンピック後は同グループの関係者から「1週間から10日ぐらいは休んだほうがいい。ボールにも触らないほうがいい」という話があったという。 「休んで、移籍が決まって、ちょっとだけ練習してすぐに試合だったので、本当にバタバタ。そんなスケジュールは経験したことがないし、新しい環境でわからないことも多くて。しかも、いきなりアウェーで前泊して。そういうなかでの試合だったので、自分でもよく結果を残せたなあって思いますね」