【カメラが去ったあと・被災地の今】望郷に揺れる黄色いハンカチー仙台荒浜
約750世帯が住んでいた仙台市若林区荒浜の集落の今(7月5日撮影)
海からの潮風を受けて、黄色いハンカチが荒野になびく。 仙台市若林区荒浜。かつてここは、約750世帯が住むのどかな集落だった。海岸沿いには松林がしげり、夏は県内有数の海水浴場としてにぎわった。伊達政宗の時代から開削が進められた貞山堀は地域の誇りで、秋には仙台雑煮のダシに欠かせないハゼが釣れた。 500年の歴史があったともいわれる荒浜の集落。海に面するそのまちは東日本大震災の津波で、集落ごと、流された。今は家の土台を残して雑草が生い茂るばかりで、人の姿はほとんどない。震災で186人が犠牲となったという荒浜は、震災後は人が住むことが禁じられた「災害危険区域」に指定されたためだ。震災後、荒浜の人々は市内各地の仮設住宅に散らばり、その後高台に集団移転したり、各地に家を再建したりした。4年以上が経つ今も、仮設住宅に住む人々もいる。 何もなくなった荒浜の集落跡を歩くと、何枚もの黄色いハンカチが吊るされている風景に出会う。1カ所だけではない。道を歩いていくと、また。遠くの方にも、風になびく黄色が見える。高倉健さん主演の「幸福の黄色いハンカチ」で、再会の目印となる黄色いハンカチ。「ここに帰りたい」と願う住民が、その意思表示として自宅跡に掲げているのだ。震災直後は約20世帯が自宅跡地に掲げていたというハンカチの数は時が経つにつれ減ってきているが、その黄色の鮮やかさは色あせない。元住民が、定期的に交換しているのだという。 7月5日。いつもは人の姿のない荒浜に、人々が集まる場所があった。元住民の貴田喜一さん(69)が震災後、自宅跡に建てた「里海荒浜ロッジ」だ。貴田さんは震災後に小さなプレハブのロッジを建て、海岸や集落跡のゴミ拾いをしたり、荒浜の今後について議論する拠点にしている。この日ロッジでは、大学教授や元住民らを集めて荒浜の歴史や今後を議論する「荒浜アカデミア」が開かれていた。