【カメラが去ったあと・被災地の今】望郷に揺れる黄色いハンカチー仙台荒浜
「ふるさとは誰でも恋しい」
20人ほど入ればいっぱいになってしまうプレハブ小屋の中で、元住民が荒浜での暮らしを振り返る。「ふすまを外すとと広い家になって、結婚式なんかも全部そこで開いたんです」。「昔は浜にクジラが打ち上げられることがあって。死んでしまったクジラを神様からの贈り物だって、むだにならないように住民みんなでいただいていました」。地域や家の暮らしや風習を思い出すうちに住民たちの顔がほころび、生き生きと輝いてくる。 集まりの後は外で、参加者に焼肉やスープが振舞われた。参加費は無料なのに、元住民らが持ち寄った食事が次々と出てくる。豊かな海産物に恵まれ、コメ作りも盛んな「半農半漁」の生活の歴史を持つ荒浜の人々。震災前まで「住民同士で農作物や海産物を分け与えることが、重要なコミュニケーションになっていた」という荒浜の、粋な「おふるまい」の文化が生きているのだ。 なぜ人々はこの場所へ通い続けるのか。「ふるさとは、誰でも恋しいものでしょう」と、貴田さんは語る。貴田さんの家系は先祖代々荒浜で暮らし、貴田さんで19代目。震災後、先祖から受け継いできたこの土地にもう一度住みたいと主張し、行政に対決姿勢を見せたこともあった。しかし4年以上が経った今は、月に1度だけでも人々が集まる場所を作ることによって、荒浜という集落の記憶と文化を次の世代まで受け継いでいこうという活動へ変化しつつある。「私は、ふるさとを守りきる」。そうまっすぐな目で話すと、また参加者への「おふるまい」の料理の準備に、てきぱきと手を動かした。 荒浜に住んでいた若い世代にも、この場所に日中だけ使えるスケートボード場を作ったり、人の集まるイベントを企画したりする動きが出ている。荒浜で取れる木材でこけしなど木製の小物をつくり、現地で販売する「里浜広場」を作ろうとする構想もある。 すべてが流されてしまったように見える、荒浜というまち。今も記憶の中で生き続けているふるさとを、何とか形にして残して伝えていくために、その荒野に通い続ける人々がいる。 (安藤歩美/THE EAST TIMES) ◇ 東日本大震災から4年以上が経過し、報道陣も多くが撤収する中、被災地の現状を報道で目にする機会は少なくなってきました。ですが現場ではまだ復興は十分に進まず、仮設住宅に暮らす人も多くいます。被災地では今、何が起きているのでしょうか。東北在住の記者・安藤歩美が読者の目となり耳となり、東北各地の被災地の現状をリポートします。(随時掲載)