国境越えるウクライナの子供たち 迫る凍死の危機 「僕は逃げない」心に誓った露侵略の日 ウクライナ隣国から~戦禍の子供たちは今~
2025年が明けました。同時に、ロシアのウクライナ侵略から3年になります。戦禍は収まるどころか、激しさを増すばかり。隣国ポーランドで、父や兄と離れて暮らすウクライナの子供たちにとって、避難生活という非日常は、今や日常化しています。 私がポーランドに移住したのは、10年夏の現地大学院への入学がきっかけでした。翌年、ワルシャワで日本語学校を設立し、日本語を教えながら、和太鼓や書道などの日本文化を紹介しています。 そんな平和な生活も22年2月24日、ロシアのウクライナ侵略で一変しました。 ポーランドは、その日の朝、氷点下の冬としては珍しい曇り空。普段通り子供を学校に送り出しましたが、社会の空気は重く、戦争が現実であることを実感しました。 「キーウが陥落すればウクライナは終わり。次はポーランドが攻められる」 申し合わせたかのように会う人々から発せられる言葉。不安を抱えながらも、人々は子供を学校に送り、仕事に向かう。「いつも通りの一日になりますように」。その願いは、ガソリンスタンドに現れた長蛇の車列や長時間ATMに並び、逃げる準備をする人々の様子を見るにつけ、無残にもかき消されました。 ただ、私は逃げることができなかった。私の子供と同じぐらいのウクライナの子供たちが、助けを求めてポーランドに向かっている。そんなニュースを見て、何かせずにはいられなかったからです。 ポーランドの冬は氷点下5度の厳寒です。保護できなければ待つのは凍死の危険。その日、自宅近くの市民体育館を避難所に変えることから私の支援活動が始まりました。 避難所には、1日約30人のウクライナ人が訪れました。大半が女性や子供。役場職員らと、パンやスープ、衣服などを無償で提供しました。 「戦争なんてすぐ終わる」。私を含めた多くの支援者が、そう思って駆け回りました。それから3年。状況は変わらず、今も多くの子供たちが支援を求めています。 ◇
ポーランドから支援を続ける日本語学校教頭、坂本龍太朗さんが、月に1回、ウクライナの子供たちの様子や支援の現状を伝えます。