北朝鮮による「ハローキティ無断使用」に日本が抗議できない「意外な理由」
北朝鮮映画の頒布権を得た日本人
日本では、テレビ各局が「朝鮮中央テレビ」の衛星放送を受信し、その映像を無断で日常的に使い続けた。その多くは、金正日(キム・ジョンイル)総書記と北朝鮮の政治・社会などを煽情的にバッシングするために使用された。 こうした状況に対して、小林正夫氏が取締役を務める「カナリオ企画」が、テレビ局を相手に訴訟を起こした。この会社は北朝鮮から、北朝鮮映画の日本での著作権と頒布権を委任されていたのだ。なぜ、そのようなことが可能になったのか。 1936年生まれの小林正夫氏は、日本大学映画学科を卒業し「大映」東京撮影所監督室へ入社。大映が倒産して徳間書店傘下へ入ると、「大映映画」で取締役兼チーフプロデューサーとしてテレビ番組の制作をする。 そして1988年に「トクマ・エンタープライズ」を立ち上げる。1992年に始めた海外映画制作プロジェクト「シネマビーム」での企画募集に、北朝鮮からの応募があったのだ。それは『バード』というタイトルで、実在の鳥類学者の父子をモデルにした南北離散家族の再会を描いたストーリーだった。この時期はまだ日朝関係は悪くなく、この映画制作に資金提供をして作品にした。「第5回東京国際映画祭」での上映後に劇場公開もされている。 小林氏がフリーランスになった後、大映を通して北朝鮮での映画制作の話がきた。そのため1995年9月に初訪朝し、北朝鮮の「朝鮮映画輸出入社」との合作で、映画『高麗女人拳士』の制作を開始。高麗(コリョ)時代に、農民蜂起の中で両親を腐敗官吏に殺された少女が、修業して復讐を果たすというアクション時代劇である。 小林氏と北朝鮮の制作陣と意見が激しくぶつかり何度も破綻の危機に見舞われたが、何とか2年後に完成。制作費は潤沢で、エキストラは延べ1万人を動員している。こうしたことが出来たのは、当時の最高指導者の金正日総書記が、大の映画好きということがあった。 2000年9月に小林氏は、「平壌国際映画祭」に山田洋次監督と参加している。この時に北朝鮮で初めての日本映画の上映作品として、山田作品6本が上映された。 こうした経緯から小林氏は、北朝鮮制作の全ジャンルの映画作品の日本での著作権とその頒布権の委任を受けたのである。 なお山田洋次監督は、2002年に日朝合作映画の企画に取り組んだ。しかし、その直後に日本人拉致が明らかになったことで中止になっている。