2000年には日本にグローバル旗艦店をオープン、イタリアの“カジュアルの帝王”ベネトンが日本撤退に至るまで
■1980~90年代に時代をリードしたものの… 1980年代には輸出を大幅に拡大。1978年に2%代だった輸出比率は、1986年には60%にまで成長した。日本には1982年に進出し、西武百貨店と契約。前述の遠藤嶂氏は、西武百貨店の初代ミラノ駐在部長で、ベネトンはもちろん、ジョルジオ アルマーニ、ミッソーニ、ジャンフランコ・フェレ、ドルチェ&ガッバーナなどの錚々たるイタリアブランドを最初に日本に紹介した傑物である。
1985年のジャパン社の設立後は、バブル景気、インポートブランドブーム、チームを所有していたF1ブームなどの波に乗り、イタリアらしい色彩と買いやすい価格帯で若者たちの間で人気を集めた。また、写真家のオリビエーロ・トスカーニによる広告キャンペーンは、数々の話題、議論を呼び、多様性やジェンダーレスを訴える先駆けとなった。 しかし90年代半ばになると、ミニマルなモードや、ストリート系のファッションに人気が集まるようになり、底抜けに明るい80年代的なベネトンのクリエーションは時代に合わなくなってきた。
2010年代に入ると業績はいよいよ低迷し、2012年には創業者のルチアーノ・ベネトンは代表を退任し、息子のアレッサンドロ・ベネトンを後任に指名。2014年には一族以外から初めてフランチェスコ・ゴーリをエグゼクティブ・プレジデントとして迎え入れたが、業績は回復しなかった。 2018年には、創業者のルチーアノが代表に復帰し、アーティスティックディレクターに色の魔術師と呼ばれるベテランのジャン=シャルル・ド・カステルバジャックを起用。これまで距離を取ってきたファッションショーを初めて行ったが、思ったほどの成果は得られなかったようだ。
2022年には元トッズのアンドレア・インコントリがクリエイティブディレクターに就任し、2023年春夏にミラノファッション・ウィークでショーを披露したが、こちらも2024年8月に退任している。 ■親会社のエディツィオーネは絶好調 ベネトンは1986年にミラノ証券取引所に上場したが、ベネトン家が運営する持ち株会社のエディツィオーネ(EDIZIONE)が株式を買い付け、2012年に上場廃止となっている。