2000年には日本にグローバル旗艦店をオープン、イタリアの“カジュアルの帝王”ベネトンが日本撤退に至るまで
この頃はザラ、H&M、ユニクロなどのSPAが台頭してきており、ベネトンのフランチャイズ形式の運営は時代遅れになりつつあった。さらに店舗への投資は各フランチャイズに委ねていたことから、SPAのような大型店を作るのが難しいという問題を抱えていた。 そこで、パリやニューヨークなどの大都市の不動産を自社で購入し大型店を開発。運営を地元のフランチャイズに任せる新しい戦略を始めた。東京・表参道店の旗艦店は、そうした世界戦略の一環だったわけだ。
■首を絞めた世界旗艦店戦略 それから14年後の2014年に表参道店は閉店。50店舗ほどあった全国の店舗も順次閉店していった。筆者はこの間、表参道店の前を頻繁に歩いてきたが、お店の中に入ったのは数えるほどしかない。1980年代の成功の方程式をそのまま展開していた印象が強く、取材対象として興味を引かれなかったからだ。 今あらためて考えると、フランチャイズ形式という旧態依然としたビジネスモデルと、ブランドの衰退期に投じた過剰な投資=世界旗艦店戦略が首を絞めたように思えてならない。そしてここ数年、日本ではECのみの展開となり、今回の日本市場からの撤退に至った。
ジャパン社ではリテール事業のほかにライセンス事業を展開しており、オカモトがコンドーム、ビデ、瀧本が学校制服、マツモトが学童用カバン、モノーロが紳士用のベルト、バッグ、財布を展開している。これらのライセンス商品の今後の展開は現時点では不明だが、WWDの報道によると本国が引き継ぐ可能性もある。 それでもベネトンというブランドは、間違いなく後世のファッション史に残る偉大で革命的なブランドである。ここでベネトンの栄枯盛衰の歴史を振り返ってみよう。
創業者のルチアーノ・ベネトンは、1935年にベネチアに近い北イタリアの小さな町、トレヴィーゾで生まれた。戦後の北イタリアでは繊維産業が盛んになり、妹のジュリアナがニット工場で働いていたこともあり、1955年にニットウェアの生産と販売を開始した。 1965年にベネトンのニットウェア工場の操業を開始し、1968年に北イタリアのモンテベルーノに1号店をオープン。アンゴラ混の毛足の長い12色のカラフルなニットは瞬く間に評判となり、翌年には海外1号店をパリにオープンした。