【対談】毛利悠子×イ・スッキョン:ヴェネチア・ビエンナーレ2024日本館での展示を語る
「Compose」が意味するもの
──回路は、そこで様々な異種のものがつながり、そこで多くの交流や電気抵抗があるということでもありますね。この展示には《Compose》というタイトルがつけられていますね。 毛利:「Compose」は、音楽の作曲や美術作品における構成や、否定の接頭辞を加えることで分解・腐敗(decomposition)という概念を指したりしますが、語源的には「共にいる[com•pose=place together]」ということとも関わっています。この作品をつくるために、多くの素材を現地で調達しました。それらは、それぞれに異なる背景をもっているはずです。私はそれらを共に置き、この環境において回路をつくりだそうと試みたんです。それは同時に、私たちがいまこの場に外国人として共に置かれて存在していること、つまりわれわれが共存しているという事実に関するステートメントでもあります。異なるものの組み合わせから、そこでなにが起きているのかを観察し、交渉がはじまるのです。 ──この作品はインスタレーションですが、同時に巨大な電子機器であり、音を鳴らす楽器であるともいえますね。音楽は毛利さんの仕事のなかで重要な要素ですが、この作品には演奏家はいない。いわば果物が楽器であるといえますね。 毛利:水もですね。 ──水も。このアイデアは、composition(構成)とcompose(作曲)という問題に関わりますね。そこで人間主体は不在である。しかし、《Compose》の構造においては、果物や水などのさまざまなものが主体としてふるまっている。この作品ではすべてが等しく主体であり客体であると言えますね。 毛利:昨日から交渉(negotiation)という言葉を使って作品の説明をするようになったんです。そもそもこの日本館のプロジェクトも、いかに他者と協働するかということで交渉から始める必要があったわけで、私が代表に選ばれてから年末までの半年以上は、作品は制作せず、ほとんど人間どうしの交渉に時間を費やすことになりました。また、年が明けてからは作品を制作するために、この特異な建築やここヴェネチアで見つけたオブジェクトたちとも交渉しなければなりませんでした。その交渉は、ときには言葉を介さないかたちで、たとえば水と交渉するということすら含まれているわけです。 水に「気分はどう?」って聞くみたいに(笑)...。これも私にとっては交渉なんですね。 イ:妥協点を見出すこともあるしね。何を諦め、なにを主張するか。 毛利:こうした小さなコミュニケーションが結果を導くために必要なのだと思います。すべてのものはつながっているんですね。たとえば、ヴェネチアでの八百屋さんとの出会いもそうでした。最初は自炊するために彼のお店で野菜を買っていて、その二週間後に、彼と交渉を始めたんです。「あなたのお店の売り物のなかで痛んでしまったものを、私のインスタレーションに使いたいんだけど」って。そういう流れで、日本館で使われているフルーツは彼のお店から提供されています。加えて、このジャルディーニの造園家でヴェネチア大学の農学者でもあるマルコさんにも相談をもちかけてみたんです。「私のプロジェクトでコンポスト(堆肥をつくる容器)をつくりたいんですが、どんな方法がいいか教えてくれませんか」と。彼は、偶然にも新しいコンポストをジャルディーニ内につくろうとしていると教えてくれました。会期の最後に、日本館のピロティで日々貯められたコンポストの中身をこのジャルディーニの新しいコンポストに持ち込みたいと思っているんです。展示で使われたヴェネチアのフルーツが、最終的にヴェネチアの土に戻っていく...これもひとつの回路であるわけです。 ──ヴェネチアではどれくらいの期間作業されているのですか? 毛利:2ヶ月になります。リサーチを始めたのは昨年の夏ですね。とても暑くて、気候変動の影響を感じました。 イ:すべてが発想のもとになっているよね。 ──この作品は、複数の出来事のcomposeともいえますね。 毛利:そう、出来事です。スッキョンの手によるハンドアウトに、作品の背景が書いてあります。どのようにして素材や果物を集めたかも。今日はレセプションの日で、トレヴィーソに住んでいるオーガニック農家のマリサを呼びました。彼女はレセプションパーティのために飲み物とスナックを振る舞いに来てくれます。 イ:トレヴィーソは、ヴェネチアの農業基盤があるところです。彼女は果樹園やリンゴ畑、ほかにもいろいろ手掛けていて……。 毛利:アップルジュースとラディッキオビールが本当に美味しいんです。このあとのレセプションで提供されます。