東日本大震災13年 被災地で示された象徴天皇の姿
住井 亨介
東日本大震災から13年目の2024年は、元日の能登半島地震で始まった。平成から令和へと代が替わっても、被災地を気遣う天皇の姿は象徴天皇制の柱になる。改めて、その意味を考えてみたい。
東日本大震災の被災者を見舞うため、上皇ご夫妻(当時、天皇、皇后両陛下)は宮城県南三陸町を訪れ、高台にある小学校から津波で被害を受けた市街地に向かって黙礼された=2011年4月27日、宮城県南三陸町歌津[代表撮影](時事)
国民に受け入れられた「平成流」
天皇陛下は2月23日の誕生日記者会見で、元日に発生した能登半島地震に触れ、「多くの方が犠牲となられ、今なお安否が不明の方がいらっしゃることや、避難を余儀なくされている方が多いことに深く心を痛めております」とし、早期訪問の希望を語られた。 2019年4月に退位した上皇ご夫妻は、東日本大震災の発災後、7週連続で被災者を見舞われた。東北の被災3県(岩手、宮城、福島)に限っても、退位までに13回の訪問を重ねた。現在の天皇、皇后両陛下は皇太子時代に3県を9回訪問、即位後はコロナ禍のためオンラインを含めて5回見舞い、被災地への心寄せを受け継がれている。
天皇在位中の上皇ご夫妻は、災害が発生すると、現地関係者の負担にならないよう配慮しつつ、できるだけ早く見舞いに向かった。避難所を訪れる天皇、皇后両陛下が腰を折り、膝を床について被災者と言葉を交わす様子は、昭和天皇の時代には見られなかった光景で、「平成流」とも呼ばれた。 天皇即位後初めて訪問した被災地は1991年7月、雲仙・普賢岳が噴火した長崎県だった。上皇さまは腕まくりをしたワイシャツ姿で島原市長らの説明を聞き、膝をついて避難住民に言葉をかけた。 そうした姿には、異論もあったという。上皇ご夫妻に近い関係者は、「『君たちは天皇陛下をひざまずかせるのか』と宮内庁に苦情を言ってくる人もいたと聞いたことがある」と振り返る。 だが、お二人の姿勢は変わらなかった。関係者はこう説明する、「疲れ果てて避難所の床に座り込んでいる人々の声は、立っていては聞こえない。真摯(しんし)に耳を傾けようとされる思いが、自然とあのような形になったのではないか」