東日本大震災13年 被災地で示された象徴天皇の姿
自身で考え、追求してきた姿
東日本大震災で被災地の訪問を重ねた上皇さまは、震災が発生した11年の秋に気管支肺炎で入院し、翌12年に心臓のバイパス手術を受けるなど、体調は必ずしも万全ではなかった。羽毛田氏ら周囲が公務の軽減を勧めたが、上皇さまは被災地への訪問を続けた。16年8月、上皇さまは退位の意向を示したことばで次のように述べている。 <私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。> 上皇さまは、現行の日本国憲法に明記されている「日本国の象徴」「国民統合の象徴」とは何かということを一貫して追求し、その姿に多くの国民が信頼と共感を寄せた。羽毛田氏は被災地での姿を、「象徴としてどうあるべきか、ということをとことんお考えになってきた結果だと思う」と話す。
受け継がれた模索の道のり
象徴の在り方を模索する道は、戦後生まれの現在の天皇陛下に受け継がれた。陛下は即位前の18年2月、誕生日に際しての記者会見で、「まさに陛下が全身全霊をもって象徴の務めを果たしてこられたように、今後受け継がせていただく公務をしっかりと受け止め、その一つ一つに真摯に取り組んでいく考えです」と述べている。 天皇陛下は23年6月に訪れた岩手県陸前高田市で、津波に耐えて復興の象徴となった「奇跡の一本松」の一部を部材に使った「TSUNAMI(津波)ビオラ」の演奏を聞いた。陛下は皇太子時代の13年7月、学習院OB管弦楽団の定期演奏会でそのビオラを弾いており、実に10年ぶりの“再会”だった。