東日本大震災13年 被災地で示された象徴天皇の姿
東日本大震災では、津波被災地に大きな関心が向く中で、上皇ご夫妻(当時、天皇、皇后両陛下)は2013年7月、沿岸部への後方支援で大きな役割を果たした岩手県遠野市を訪問した。津波の被害を受けた文化財の修復をする「文化財レスキュー」の活動や被災地への献本活動について、市文化課の前川さおりさん(54)から説明を受けた。実は、これよりも前に都内で開かれた文化財レスキューのイベントを秋篠宮さまがご覧になっており、上皇さまは「秋篠宮から聞いています」と話した。上皇后美智子さまは「献本活動は手間がかかって、とても大変なお仕事ですよね」とねぎらった。前川さんは「ご一家が目立たない活動を見ていてくださったことが、励まされるよりもうれしかった」と話す。 一人ひとりとの出会いを大切する姿勢は、現在の天皇、皇后両陛下に受け継がれている。2023年6月、即位後初めて被災地に赴き、岩手県陸前高田市での全国植樹祭に出席した。同市にある東日本大震災津波伝承館では、天皇陛下は解説員を務める人首(ひとかべ)ますよさん(59)に、「お父さんは漁師をされていたんですよね。大変な思いをされましたね」と声をかけた。両陛下の訪問を前に県へ提出した文書に、父親の漁船や漁具一式が津波で被害を受けたことなどを簡単に記しており、その状況を理解の上での声かけだった。「この一言で、それまで胸にしまっていたいろいろなことが、受け止めてもらえたと感じました」
「頑張ってください」とは言わない
「大変ですね」「いかがですか」「お大事にね」…。上皇ご夫妻が避難所の見舞いなどでかける言葉は、簡潔なものが多い。相手の言葉を静かに聞き、けっして「頑張ってください」とは言わない。東日本大震災発生当時の宮内庁長官だった羽毛田信吾氏(81)は、その真意をおもんぱかる。「『励ましに行く』というお気持ちではない。あくまでお見舞いであり、人々の苦労に心を通わせるためなのです。その結果として、人々は『励まし』を受けた気持ちになり、勇気を与えられる。固く、暗い被災者の表情が、両陛下がお見舞いをされると変わってくる。前向きに生きようという気持ちが出てくるように見えました」 07~15年に侍従長として、退位前の上皇ご夫妻に仕えた川島裕氏は、回顧録『随行記』(文藝春秋)で次のように記している。 <穏やかに人々に対されていても、こうした人々の悲しみを受け止められる両陛下ご自身も、悲しみの「気」を心の中に擁したまま、その後の生活を続けておられるものと思う。そしてまたお二人の中には、被災者の悲しみを、被災しなかった者が理解できるかという恐れにも似た控えた気持ちが常におありになるようだ。それ故に、慣れるということの決して出来ない辛(つら)いお仕事を、それでも、そこに行って、その人たちの側にあることをご自分方の役割としてなさっているように拝察している。> 上皇ご夫妻が人々へ寄り添う気持ちは、川島氏の言葉にあるように、一過性のものではない。 <贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に> 上皇ご夫妻が阪神淡路大震災の10周年追悼式典に出席した際、遺族代表からヒマワリの種が贈られた。震災で犠牲となった小学6年生の加藤はるかさんの自宅跡に咲いたヒマワリを、地域の人が絶やさず咲かせてきたものだった。ご夫妻も御所の庭にまき、毎年種を採って育て続けた。そして、退位を控えた平成最後の歌会始で、上皇さまはこのヒマワリを詠んだ。ご夫妻は代替わり後の住まいである仙洞御所でも、毎年ヒマワリを咲さかせているという。