『ありふれた〈平和都市〉の解体――広島をめぐる空間論的探求』仙波希望著 評者:林 凌【新刊この一冊】
評者:林 凌(武蔵大学社会学部専任講師)
『ありふれた〈平和都市〉の解体』。このタイトルはその不思議さゆえ、独特の惹きがある。そもそも、広島という都市が国内外で独特の影響力を発揮できている理由は、初めて原爆を投下された都市が、「平和」を希求するというメッセージを発し続けているからだろう。〈平和都市〉であることはまさしく現在の広島の「ありふれてなさ」を象徴している。とすると、本書は何を言わんとしているのだろうか。その答えは端的に言うと、以下のようなものだ。確かに、アメリカによる原爆投下という出来事は「ありふれて」などいない。しかしこの出来事が〈平和都市〉という理念を介して、様々な動きを生み出していく流れは「ありふれた」ものだ。私たちの社会にも通底する、都市を近代化・発展させようとする人々の実践は、原爆投下という凄惨な出来事すらも平板化してしまう力を持っている。 本書はこの問題意識から、広島という都市の歴史を、ヒロシマ研究ではなく都市研究の文脈に位置づけようとする。1章と2章で理論的検討が行われた後、3章から4章では戦後広島にて、〈平和都市〉が提唱される過程が描かれる。当初、理想として提示されていた〈平和都市〉は、戦後の都市復興により、既に達成された都市像を示す根拠へと転化していく。そしてこの都市復興は、戦前期の〈大広島〉や〈軍都〉を目指す都市近代化の夢と不可分でもあった。原爆投下後の「広漠たる空地」を改造しようとする人々の夢は、戦前期の夢と明確に連接していた。 5章から6章では、この夢が不可避的に抱え込む破れ目が論じられる。原爆投下により生み出された空白地に、人々が根を下ろし戦後復興の礎となる。しかし、「相生(あいおい)通り」と呼ばれたそこは「原爆スラム」と名指され、〈平和都市〉に反するものとして行政による排除の対象となる。他方、戦後広島に数多く構想・建立された〈平和塔〉(その内の一つは日清戦争凱旋碑を転用している)は、今やほぼ誰にも顧みられず、〈平和都市〉の変節をひっそりと今に伝えている。丹念な歴史記述を通じて著者は、〈平和都市〉という理念が様々な矛盾・揺らぎを内包していることを論証する。 本書が描き出すのは、時代状況を色濃く反映した一種の官製キャンペーンの中で、〈平和都市〉が現れていく過程である。それは都市の近代化・発展という、人々の「ありふれた」願いにより生み出された。 他方重要なのは、この知見は〈平和都市〉が無力な理念だと示唆するものではない、ということだ。 たとえば、2024年の広島・長崎の平和式典における争点の一つは、パレスチナ問題を抱えたイスラエルが、〈平和都市〉の来賓としてふさわしいのか、という点にあった。この概念の境界は今なお揺らぎ続けている。だがそれゆえに〈平和都市〉は、広島という都市の持つ歴史的重みを、私たちに絶えず突きつけることができている。 本書の題目にある「解体」とは、〈平和都市〉という理念の否定を意味しない。〈平和〉が問い続けなければ維持できないものであるのと同様に、〈平和都市〉もまた、それが何かを問い続けることで初めて効力を発揮する。だからこそ私たちは、「ありふれた〈平和都市〉」を「解体」し続けていかなければならない。 (『中央公論』2024年11月号より) 仙波希望/評者:林 凌(武蔵大学社会学部専任講師) 【著者】 ◆仙波希望〔せんばのぞむ〕 1987年広島県生まれ。札幌大谷大学社会学部准教授。東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程修了。博士(学術)。専門は都市研究、カルチュラル・スタディーズ。主な論文に「『平和都市』の『原爆スラム』」(日本都市社会学会若手奨励賞)。 【評者】 ◆林 凌〔はやしりょう〕 1991年生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。博士(社会情報学)。専門は消費社会論、都市研究。著書に『〈消費者〉の誕生』がある。